どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

守るべき存在

 いきなりですが皆さんは長いものに巻かれるのはお好きですか?

 私は大嫌いです。齢44にもなって長いものに巻かれるのが嫌で嫌で仕方ないのです。そんな私を精神的に未熟だ、幼稚だとおっしゃられる方々もおられるかと思います。確かに私は精神的に未熟で幼稚なのかもしれません。おっしゃる通りです。でも、でも私にも反論させてください。私は相手が後輩だろうが、子供だろうが自分が間違っていたと思えば素直に非を認め謝罪します。それは私をご存知の方々は皆さんお認め下さると思います。  

 私が納得いかないのは相手が権威や権力を背景に非道な手段に訴えた時です。正々堂々と否を鳴らすのなら兎も角、そうでない場合、とことんまで私は歯向かいます。

 尾田栄一郎先生のマンガ『ワンピース』のエースのセリフに

「力に屈したら男に生まれた意味がねーだろ。」

があります。いいセリフです。しびれます。そうなのです、力に屈したら漢に生まれた意味がないのです。カッコいいです。しかし、物語中では、最後の最後まで力に刃向かったエースは処刑されてしまいます。壮絶な最後です。私もこういう形で最期を迎えるのも悪くはないと思っておりました。でも、ある漫画を読んで少し考えが変わりました。板垣恵介先生の『グラップラー刃牙』です。このマンガには対照的な2つの強さがテーマとして描かれていた章があります。ズバリ『守るべきものが在る強さ』と、『いつ死んでもかまわない強さ』です。果たしてどちらの方が強いのか?このマンガでは先述の『守るべきものが在る強さ』の方が勝利します。そうなのです。守るべき存在がいるという事は人を強くするのです。私くらいの年になると友人は皆『守るべきもの』が在ります。自分の家族です。私の友人たちも守るべき家族の為に、不本意ながらも長いものに巻かれて日々暮らしているのだろうと思います。その憂さを晴らす為に酒やタバコが必要なんだとこの頃では感じるのです。

 幸か不幸か、私には守るべき自分の家族はいません。いるとすれば高齢の両親です。彼らの為に、巻かれるのも致し方ないかなとも思うのです。しかも相手は“超”のつく長いものなのです。それこそ北関東を一周してしまうくらいの!私にだって言いたい事のヒマラヤ山脈1,000個分くらいはあります。でもそれをグッと、グッとこらえて少なくとも“超”長いものに巻かれた“ふり”位してやるのが大人としての務めなのかなあとも思うのです。そうタバコの煙に紛らせて・・・。

 さて、皆さんには守るべき人はいますか?もしいらっしゃるのであれば、“超”長いものの1つや2つ巻かれてやろうではありませんか!

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まるっとお見通しだ~!

「長谷川漣の何処吹く風」もあわせてどうぞ。

長谷川 漣の何処吹く風 – 表現者の肖像 (gentosha-book.com)