現在、講談社の文芸ニュースサイト「tree」が主催する 2021年上半期 エッセイ&ノンフィクションコンテストに応募している。7月下旬に結果発表予定。エッセイやノンフィクションに限ったコンテストとしては国内最大規模だ。以前にも述べたように私には賞が必要だ。ワクワクドキドキしながら結果を待っている。応募するにに当たって、自分が過去に書いた文章を読み直していたのだが・・・あまりにも立派な事が書いてあるので我ながら驚いた。
「いやあ、すごいなこの文章!えらい立派な事が書いてあるけど、誰が書いたんだろう?きっと書いた人もたいした人物に違いない(笑)」
などと笑ってしまった。
さて、他人事なら笑って終わりだが、自分の書いた文章ともなればそうはいかない。自分の発した言葉に縛られる必要はないものの、最低限の責任は持たねば。
言っている事が180度変わる人。相手によって態度がころころ変わる人と言うのは巷に溢れている。彼らはそれでいい。アマチュアだから。ただ、文筆業であるならばそれではいけない。自分の発した言葉に最低限の責任は持たねば。なんせ、言葉でお金をいただいているのだから。では、ジャーナリストやノンフィクション作家はともかく、小説家やエッセイストが自身の発する言葉に対して持つべき責任とは何か?それは詰まる所、人生に対するアティチュード、人生に対する態度に他ならないのだと思う。人生に対してどう向き合うか?それがころころ変わるようでは誰もその人の言葉に共感なり共鳴なりするはずがない。細かい事はともかく、この点俺はダイジョブそうだな。自分で考えながら自分でほっとした。言い換えると文筆業などになるのは相当の頑固者という事だ。どうやら私は結構な頑固者らしい。そんなことを友人に告げると
「でも細かい所もちゃんとしないと!」
と言って私が、その講談社のサイト「NOVEL DAYS」で自分の文章のアイコンに使った芥川龍之介の画像が、著作権的にまずいと指摘してくれた。死後100年近くたっているのだから大丈夫だろうと思ってネット上にあったものを無断使用してしまったのだが、どうやらまずかったらしい。今から変更すると審査されない恐れがあるので、取り敢えずこのままにしておく事にした。
と、ここまで書いてきて1つウッカリしていたことに気づいた。
「そういえば俺だってただのアマチュアじゃないか?」
いつの間にか自分がお金をいただく側に立って文章を書き進めてきていたことに気づいた。恥ずかしい。そうなのです。そのアマチュアがもしかしたらお金をいただける側になる、その初めの一歩になるかもしれないのがこの
「講談社文芸ニュースサイト「tree」主催 2021年上半期 エッセイ&ノンフィクションコンテスト」
なのです。このウッカリ者を応援してやろうという気概をお持ちの方はどうぞ、読んでやってください!
長谷川漣のどこ吹く風|一般小説作品詳細|NOVEL DAYS (daysneo.com)