どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

北関東のトム・クルーズ

 私の友人はメールやLINEの中でよく自分の事を「アジアの大木」と表現する。例えば文面の最後に「アジアの大木より」と結んだりする。無論これはウケを狙っての事だ。実際には彼の身長は160そこそこしかない。2メートルになんなんとする大男が自分の事を「アジアの大木」と評していたのでは洒落にも何にもならない。160センチそこそこの身長だからこそ笑いになるのだ。それでいてそこには我々の共通認識として「気持ちの大きな男」と言うニュアンスが含まれている。だからこそ面白い。

 それに返す私としては文面の最後に「北関東のトム・クルーズより」などと結ぶ。もちろんこちらもウケを狙っての事で、実際に私がトム・クルーズの様な超2枚目であるわけではない。「そこそこの面構えではあるが」という共通認識の上に、「北関東の」と付け加えることでやはり笑いに昇華している。言葉って面白い。ほんの少し言葉を付け加えるだけで自分や相手に対する敬意やら、揶揄やら、愛着やらを笑いに変換してくれる。言葉の力・言葉の可能性ってすごいと思う。

 さて、何でこんな話になったかと言うと、今日、幻冬舎の編集者さんから「200文字以内での著者紹介文と著者近影を用意してください。」との依頼が来た。もちろん「表現者の肖像」に載せるためだ。そこで考えたのが以下の文面だ。

 

『隠すべき理由もないので本来なら著者の写真を載せるべきですが、同居する両親が「写真は賞をとるなり何なりしてからにしなさい。」と申すので今回は控えさせていただきます。1976年生まれ。本とマンガをこよなく愛す。大学卒業後、高校教師を5年間務めた後、会社員生活を経て現在は学童保育に勤務。そのかたわら執筆活動にいそしむ。自称「芸術にその身をささげた元社会科教師」。もしくは「北関東のトム・クルーズ」。』

 

 冒頭にある通り写真を載せるかどうするか迷ったのだが、今回は見送ることにした。多くの方の目に触れるものなので躊躇したというのもある。また別の機会にしたい。そこで、文面の最後に自称「北関東のトム・クルーズ」と書いた。これがジョークとして伝わるかどうか不安だったのでこんな文章になったわけだ。是非「北関東」と言う言葉の持つ絶妙なニュアンスを堪能していただきたい。(北関東好きです!住みやすい!)

 

 幻冬舎ルネサンス新社のサイト「表現者の肖像」に私、長谷川漣の文章が近日掲載予定です。毎月2作品、計24作品が順次掲載されます。是非お読みいただければ幸いです。

www.gentosha-book.com

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あやかりたいものです(笑)