どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

ピーク

 山脈にピークがあるのと同様、人生にもピークがある。子どもの頃にピークを迎える人もいれば、いわゆる遅咲き、つまり晩年に人生のピークを迎える人もいる。また、一度の人生に2度3度とピークを迎える人もいれば、逆にピークと言うほどのピークを迎えないまま人生を終える人もいる。時にはピカソのようにピークを迎えっぱなしのまま人生を終える人もいるわけで、十人十色で非常に興味深い。ただ、ピークと言いうるくらいのピークを迎える人は、多くの場合近いしい人たちのサポートを受けている。それは親であったり、配偶者であったりするわけだが・・・。

 私の母方の祖父は北関東で象牙細工師をなりわいにしていた。祖父には菊の花を育てる趣味もあり、地元の展覧会でしょっちゅう賞を貰っていた。(どうも私が文章を書くのに凝るのも、この祖父に似たらしい)凝り性の祖父だったが子供が勉学に励む年頃になると菊の趣味をスッパリとやめたそうな。「今度は子供に華咲かせなきゃだからさ!」と後年冗談交じりに語っていた。祖父は自分の趣味そっちのけで、叔父と母のために頑張ったのだろうと思う。20代30代前半までに本人の人生のピークを迎え、子を儲け、その後は自分の子供の成長を第一義に置く。ことライフサイクルと言う観点から言えば、祖父の例はスタンダードなものなのかもしれない。私の友人が子供を持つという事は「バトンタッチ」する事なのだと言っていた。なんとなくわかる気がする。これに対し、先にあげたピカソなどは特殊例と言うべきだろう。ピカソの場合、言い方は悪いが「他者の才能を食い物にして」自身のピークを維持した観がぬぐえない。芸術家って、天才って、良くも悪くも凄いものだと思う。

 さて、ひるがえって私こと長谷川漣のピークはいつになるのか?私はついこの間44歳になった。よっぽどのことがない限りはもう結婚しようとは思わないし、子供を持とうとも思わない。残りの人生を自分自身のために使い切るつもりだ。先のライフサイクルと言う概念からすればピカソとはまた違った意味で特殊例と言える。それを踏まえた上で、改めて私のピークはいつになるのか?40代か50代か?それとも誰も(本人さえ)気づかないままもう終わってしまったのか?いや、そんなことはない。私はまだまだこれからだ!ここで、臆面もなく、本当に臆面もなく大きなことを言わせてもらうならば、私、長谷川のピークは私が死んでからだ。死して一層輝きを放つ、それが私の文章だ。死後百年、2百年と残る文章を書く。それが私の望みなのです。

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その人生を詳しく知ると一層面白いです!

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長谷川 漣の何処吹く風 – 表現者の肖像