どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

強さ

 強さって何だろう?男子なら誰でも抱いたことのある疑問だ。その定義は人それぞれだろう。喧嘩の強さ、ハートの強さ、権力の強さ、強さにもいろいろあるが、一例として(「グラップラー刃牙板垣恵介)の刃牙の親父、範馬勇次郎の言葉を取り上げたい。曰く「強さとはわがままを通す力の事だ。」と。なるほどこれはこれで面白い。どこまでわがままを通せるか?それも強さの1つのカタチだろう。さすが一国の軍事力に匹敵する戦闘能力の持ち主、言う事が違う。さて、範馬勇次郎には及ぶべくもないが私も「本当の強さ」って何なのか考えてみた。

 「強さ」を逆からアプローチした言葉として「怖いものなし」がある。強さを追っていたのでは埒があかないが、この「怖いもの」を明確にすることが真の「強さ」に迫るカギになるのではないか。では究極の「怖いもの」ってなんだ?と考えた時に浮かんでくるのはやはり「死」である。そう、生物である以上逃れられない「怖いもの」ってやはり「死」なのだ。この「死」に対して自在である事。それが究極の「強さ」なのではないか?では、「死」に対して自在な存在とは?私は今まで読んだ漫画・小説・映画の中で複数そのような人物を知っている。中でも特に「死」を超えられるか?否かをテーマとして描いた作品として(天・天和通の快男子・」福本伸行)がある。最後の16・17・18巻で天才勝負師のアカギはあろうことかアルツハイマーを患ってしまう。アカギはマーシトロンによる自死を選択する。其処に昔からの麻雀仲間たちが自死を思いとどまらせようと駆けつけてくる。其処での仲間たちとアカギのやり取りが非常に興味深い。「命は二の次。それより自分が大事。」というアカギに対し、主人公の天は「あんたには人と深くつながろうとしなかった。今にして思えばあんた避けてたんだ。弱くなっちまうもんな。(いつ)死んでもいいって人間が死ねなくなったら。(中略)俺のために生きてくれって言ってるんだ。」アカギは「最後に救われたよ。家族はいずとも・・・俺に・・・友はいたのだ。」

と言って死んでいく。ご興味を抱かれえた方は是非読んでみてください。そして本当の強さって何なのかを考えてみてください。今回は「究極の強さ」≒「怖いものなし」では「究極の怖いもの」とは何か?というアプローチで論旨を進めてきた結果、このような結論にたどり着きました。「死」に対して自在と述べましたが、それが本来、生物として自然な事なのかどうなのか私にはわかりません。また、「死」を美化するつもりも毛頭ありません。それに「守るべきもの」がいるからこそ強くなれるという御意見もおありの事と思われます。「本当の強さ」とは何なのか?まだまだ考え尽くせないテーマです。ただ、「強さ」が他者との繋がり・関わりに結び付いた概念であることは「天」からも明らかなようです。また次回このテーマについて考えてみようと思います。

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アカギ、かっこよすぎます!18巻、面白かったなあ