どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

キング

 職場の学童で数人の児童が私のことを「ハセキング」と呼ぶ。半ば揶揄する様で、半ば好意的でもある。「何でキングなんだよ?」と聞くと「キングだから。」と答える。これは王様のように公明正大という事なのか?それとも王様のように偉そうという事なのか?にわかには解らない。ただ少なくとも私は子供たちに対して高圧的ではないとは自覚しているので、偉そうという意味ではないのだろう。では公明正大と言う意味かと言うとそれほど私には自信がない・・・。

 

 1つ解ったのは学童の先生とはどんなに規模は小さくとも“為政者”に他ならないという事。その政(まつりごと)を民衆(子供達)が是とすれば民衆はついてくるし、非とすれば民衆はついてこない。中にはどうあっても言う事を聞かないで反抗する民衆もいる。その際には“武力”を用いる必要も時としてある。これが少ないに越したことはないのだが・・・。

 

 では為政者に必要な資質とは何か?以前本で読んだ事がある。為政者に必用なのは2つ。“公平な税制と”“公平な裁判”だと。“公平な税制”は良いとして“公平な裁判”、これは難しい。トラブルが起きた時など双方の言い分を聞いて、双方の納得のいくように裁くのは、これが子供相手でも(だからこそ)結構難しいのだ。

 

 それらに加えて私に言わせれば為政者にはもう1つ必要な資質がある。それは民衆(子供達)の手本で在らねばならないという事だ。どんなに税制や裁きが公正でも、王様が自分の事を棚に上げて、好き勝ってやって王国を私物化していたら民衆はついてこない。子供たちの手本になるという事は、つまりは指導員の生き方そのものが問われる。だから物凄く難しい。

 

 聖人でも君子でもない私などは、そりゃあ叩けばホコリは出るし、日々の行動の1つ1つに後悔がつきまとう。とてもじゃないが器じゃない。そのような私を「ハセキング」と呼ぶのだから不思議と言えば不思議な話ではある。

 

 ただ、私が1つ気にかけているのは「チーム全体の事を考えろ」という事だ。サッカーのチームの中で皆がある一人のチームメイトの陰口を言っていたらそのチームは強くなるか?なるわけがない。今度は自分が言われる番ではないかといつもビクビク・ギスギスしてしまう。チームの空気は悪くなる一方だ。良いチームとはそれぞれの長所と短所を補い合うものだと私は考える。サッカーのチームだって学童だって人の集まりである以上同じだ。つまり自分の感情よりも全体の事を優先しろと。そういう事は言っているつもりだ。その辺りを指して「ハセキング」と言うのならそれは大正解だというべきだ。ありがたい話だ。

 

 でも、もっと嬉しいのは「革命の風雲児ハセガワだ!」とか言ってくれたら、それに越したことはない。そしたら「革命未だ成らず」と言って返すんだけど・・・(笑)

 

(こう言うジョークが言えるようになったら一人前だ。まだまだみんなには早いかな(笑)。)

たとえそれがポーズだったとしてもやっぱり名君です