どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

自分再確認

「あ~心に愛がなければスーパーヒーローじゃないのさ!キン肉マンGo Fight」

 

 どう言うわけか、昨日ブログに載せた『キン肉マンGo Fight』のサビの部分が私の頭の中で響いた。空耳と言うやつだ。何故この楽曲が私の中で響くのかちょっとピンとこない。誰かが私のことを思って歌ってくれているのなら、正直それはそれで微妙な気分だ。

 

 私の心の中に愛があるかないかは、そりゃ他人の評価するところだ。ただし私にも言い分はある。お前らのように薄っぺらい愛とか、厚かましい愛じゃねえんだよ俺のは。とくらいは言っておきたい。それはそれとして、何でおれがスーパーヒーローなんだ。いつから俺はそんな大層なご身分になっちまったんだ。と言う思いが私にはある。スーパーヒーロー・・・やれやれ。

 

 正直、学童に勤めているとヒーロー像を期待される場面が多々ある。ある児童などは

♪ハセキング、ハセキング!僕らのヒーローハセキング♪と自作の歌をつくってくれたほどだ。でも私は速攻でその児童に言った。「ヒーローになぞ、祭り上げる方にも、祭り上げられる方にも100害あって1利なしだ。頼むからやめてくれ。」と。

 

 今年で生誕40周年を数える、私の大好きな小説『銀河英雄伝説』にはヤン・ウェンリーなるキャラクターが出てくる。架空の人物であるにもかかわらず、私はこのヤンが好きで好きで仕方なかった。今でもそうだ。つまり私にとってのヒーローだったわけだが、このヤンは愛に溢れたタイプかと言うと・・・そんなことは全くない。いや無論、人並みの愛情は備えているが、それを表現するのは下手だし、いわゆる社交性も皆無だ。ただで歴史を学ぶために授業料免除の士官学校に入学した不届きものだし、フレデリカ・グリーンヒルと言う女性が現れなければ一生結婚などできなかったのではないかと疑われる。もっとも戦場での彼の華麗な功績に魅かれて群がってくる女性はいるだろう。でもそれは彼の人柄に魅かれたのではない。あくまで、その名声に魅かれたに過ぎない。ヤン自身は人間としては欠点と言うか、欠陥ばかりが目立つ冴えない青年だ。ただこの冴えない青年にどんな魅力が隠れているか?それは本伝を読んでいただくしかないのだが・・・。それとは別にこのヤンについて彼の被保護者ユリアン・ミンツが残したセリフで忘れられないものがある。

 

 以下原文と概ね同様の内容である。

 

~ヤンは無敗のまま逝った。あのラインハルト・フォン・ローエングラムでさえ彼を負かすことはできなかった。その事が少しでも慰みになるだろうか?いや違う。ユリアンは思う。「たとえ連戦連敗でもいい。そばで笑っていて欲しかった。」~

 

 このくだりは私にとってとても重要だ。何故なら「他人を愛するというのは損得ではない」。と初めて明確に認識した箇所だからだ。こういう事が解ってくると“スーパーヒーロー”なんて言葉がいかに陳腐なものか、嫌がおうにも知れようと言うものだ。

 

 そもそも私が学童に勤めようと思ったのは、子供達のヒーローなんかになりたかったからではない。子供相手に講釈をたれるのは好きだが、それなら塾に勤めた方がましだ。塾に勤めなかったのは、学童の方が労働時間が若干少なかったからに他ならない。それに塾は帰りが深夜になる。それだと同居する年老いた両親に申し訳がない。子供達とサッカーや将棋を楽しんで、たまには偉そうに講釈垂れて、あとは過不足なく働ければもう十分だ!空いた時間はそれこそ今度は、老若男女問わずに講釈をたれるためにこのブログを綴っているのだから。

 

 つまり何が言いたいかと言うと「スーパーヒーローなんて柄じゃないよ。私は。そういうのが望みなら他をあたってくれ。」と言ったところか?

 

 同時に自分を再確認した。「俺は教室の隅っこで皆を観察しながら、時には文章を書いたり、時には絵を描いたりして過ごすのが好きな冴えない少年(現中年)なんだ!」

 

 どうも何か履き違えていたらしい。色々な人が色々な事(次の経営者かもよ。ひそひそ)をおっしゃるが、自分の立ち位置をしっかり把握しておくことは間違いなく大切だ。

 

 学童支援員の仕事を始めて、もうすぐ3年、学童支援員とは何か?自分とは何か?そんなことを再確認した一日だった。

 

 皆さんは自分の立ち位置しっかり把握できていますか?立ち位置大事ですよね。ではまた!

頭をかいてごまかすさ!