どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

喝采

 友人がドエス、ドエスと連呼するので、何のことかと思っていたが、今日テレビ番組表を見ていてやっと理解した。何とかいう民放ドラマの解説に『ドS医師との恋の行くへはどうのこうの』とあった。

「成る程ドSか。ドの着くほどサディスティックなという意味か。」

と、納得した。たまには民放も見ないと時代に取り残されてしまう。そんな危機感を持った私はTBSの第62回日本レコード大賞を観た。そこで気になった曲があったので紹介したい。ちあきなおみさんの(『喝采』1972年)だ。

 ♪あれは三年前、止めるアナタ 駅に残し♪

 この部分しか解らなかったのだが妙に気になったのでitunes ですぐに探した。「喝采 ちあきなおみ」で検索したがもう販売していなかった。そこで、宮本浩次さんがカバーしたものを購入。メロディーにもサビにも曲想にも大満足した。歌詞を読んでいてわかったのだが

 ♪動き始めた汽車に 一人飛び乗った♪

という歌詞がいい。カッコいい!どうも私はこの部分に魅かれてしまったらしい。以前、奥田民生さんの『さすらい』を取り上げた事があったが、その際も

 ♪人影見当たらぬ終列車 一人飛び乗った♪ 

という部分が妙に心に浸みた。『喝采』は私の生まれる前で、『さすらい』は90年代の楽曲だ。時代は違えども

「『動き始めた汽車に一人飛び乗りたい』というのは普遍的な感情なんだなぁ。」

と妙に感心した。ドS、ドMはともかく、汽車が動き始めたなら一人飛び乗らなくては。大事なのはそこだ。と思った。

 さて、テレビ、特に民放をほとんど見ない私としては、その分、本を読むかYouTubeを見ている。もしくは何かを考えている・・・ふりをしているだけかもしれない(笑)。その私が最近読んだ本はというと『十五少年漂流記』と『ロビンソン・クルーソー』。ともに講談社の少年少女世界文学館シリーズだ。どちらもその昔に読んだ事があったが改めて読み返したくなって図書館で借りた。先程の話と言い、この二つの小説と言い、どうも私には逃避願望があるらしい「動き始めた汽車に一人飛び乗って、その挙句には無人島で自給自足生活をしてみたい。」というのが私の隠れた欲求なのだろうか?やれやれ。でもまあ、それも悪くない。

 話はそれたが、何を言いたいかというと、ドSだのドMだのはすぐに消えてなくなる言葉だろうが、動き出した汽車に一人飛び乗ってしまう奴ってのはいつの時代も絶えないだろうという事。ましてや、無人島で自給自足生活をしたいという願望はいつの時代にもなくならないだろう。一緒にレコード大賞を観ていた母が言っていた。山口百恵さんはたくさんの楽曲を歌っているが今でも価値あると言えるものは『いい日旅たち』と『コスモス』くらいだと。簡単に流行るものは、すたれるのも早い。時代に乗っかったものよりも、もっと人の心の奥にある何かに訴えかけるものを創り出さなければだめだと思う。以前にも述べたかもしれないが、それが私の表現者としての矜持なのだ。

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曲名が深いです。

(110) 喝采/ちあきなおみ - YouTube

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長谷川 漣の何処吹く風 – 表現者の肖像 (gentosha-book.com)