どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

続ドルチェ&ガッバーナの

ここ数日、瑛人さんの楽曲『香水』を車の中で聴いている。

気になった歌詞があったので採りあげたい。

 

どしたの

いきなりさあ

タバコなんか咥えだして

悲しくないよ

悲しくないよ

君が変わっただけだから

 

この部分が気になっていた。

 

再会した以前の恋人がタバコを咥えだした。

自分といた頃はタバコなんか吸っていなかったのに

でも別に悲しくない

君が変わっただけだから

 

と言う歌詞だ。

「悲しくないよ」

と言う言葉とは裏腹に悲しげに聴こえる。

 

これは

 

彼女がタバコなんか吸い出した

それを悲しく思えない自分

その自分自身が悲しいんだ

 

と、歌っている事に

今日、車の中で気づいた。

 

「つまり悲しくないこと。それ自体が悲しいんだな。」

「悲しくない自分を冷めた目で見ている自分がいる。

その冷めた自分自身が悲しいんだ。

深いな。」

 

と思ったら

何だかこの楽曲がじわりじわりと

世間に浸透してきた理由がわかった気がした。

 

以前読んだ『のだめカンタービレ5』(二ノ宮知子)で

「悲しいという気持ちをストレートに悲しいと表現してもあまり響かない。

悲しくてもその気持ちを言葉にする事が出来なかったんだ。

そんな風に弾いてごらん。」

というくだりがある。

 

共通するところがあると思う。

私も一表現者として見習おうと思った。

そんな真夏の一日だった。

www.youtube.com

f:id:kirutokira:20200814194238j:plain

特別編が面白いです!チャイコフスキーの秘密と謎とは?

「長谷川漣の何処吹く風」もあわせてどうぞ!

https://www.gentosha-book.com/creators/hasegawa-essay04/

眠れない男

 以下は私の独断と偏見に基づく見解である。

 世の中には2種類の男がいる。女だってそうかもしれないが、そこまで踏み込むと面倒なので、男についてのみ触れておく。

 もう一度述べる。世の中には2種類の男がいる。それは、よく眠る男と眠れない男だ。

 一社会人として頼りになるのは前者である。睡眠が記憶を定着させるというのは有名な説だし、よく眠った方が気力も体力も回復できる。いわゆる仕事のできる男と言うのが前者である。

 これに対し、話していて面白いのは圧倒的に後者である。着眼点、切り口、論理構成どれをとっても「眠れない男」の方が面白い。一体何に起因するのか?一言で言ってしまうと「眠れない男」の方が考えているからだと思う。眠れずにああでもない、こうでもないと考える時間、それが話を面白くしているのだろう。心配性なのか何なのか解らない。ただ、眠れない男の方が話が面白いのは事実だ。

 双方とも具体例を挙げて論じたいところだが、センシティブな内容なのでここでは控えておく。

 私?私はと言うともちろん後者である。そしてこの文章を綴っているのも眠れぬ深夜1時過ぎなのである。

f:id:kirutokira:20200810010825p:plain

眠れぬ深夜あなたは何をしてますか?

「長谷川漣の何処吹く風」その4もあわせてどうぞ!『劇薬』読んでください。

https://www.gentosha-book.com/creators/hasegawa-essay04/

 

読み聞かせ

 先日、勤務先の学童で児童文学の読み聞かせをした。お題は芥川龍之介の『蜘蛛の糸』。小学1・2年生には少し難しいかなと思ったが皆よく聞いていた。読後の感想を求めると「お釈迦様ってどういう人なの?」という声が。以前とある寺の住職から教わった話をそのままに伝えた。

「簡単に言うとね、お釈迦様っていうのは、あらゆる欲から逃れたいって言った人なんだ。誰だって欲があるよね。ハセッチだっていい車に乗りたいし、おいしいものを食べたい。病気になりたくないし、健康で長生きだってしたい。難しくいうと不老不死って欲の最たるものだよね、みんなまだ解らないかもしれないけど。そういうあらゆる欲から自由になりたい、つまり欲をかかないようになりたいって望んだ人なんだ。で、お釈迦様はあらゆる欲から逃れられる方法を探しに修行の旅に出てしまう。当時、彼には奥さんも子供もいたんだけどほったらかしにしてね。」

「で、その方法は見つかったの?」

「うん、ある時お釈迦様は気づくんだよね。あらゆる欲から逃れたいなんて、それ自体が・・・・?」

「わかった!一番の欲」

「そうその通り。そして悟りを開くんだ。その後弟子たちと共にその教えを広めていく。それが仏教つまりお寺の始まり。」

「ふーん。」

「ハセッチがどう思ったかと言うとね、結構このお釈迦様は身勝手な人だなと。なんで身勝手と思うかわかる?」

「奥さんと子供いたのに修行の旅に出たから?」

「そう、それもあるし、今回も気まぐれでカンダタを助けてやるかと言うと途中で止めちゃうし。何だか身勝手だなあと(笑)」

 そこで、私こと長谷川の、おこがましくもしたためた『新釈 蜘蛛の糸』を披露しようかとも思ったがさすがにそれは止めておいた。こっぱずかしいし、子供たちを混乱させてしまうかもしれないと思ったからだ。もしもお読みになりたいという方が居られましたら表現者の肖像「長谷川漣の何処吹く風」その3をご覧ください!こちらです。

 https://www.gentosha-book.com/creators/hasegawa-essay03/

 今回もそうだが学童に勤めて改めて思うのは「子供は大人が思うほど子供ではないし、大人は子供が思うほど大人ではない」という事実だ。『蜘蛛の糸』などは子供が読んでも、我々大人が読んでも十分に面白いし響くものが在る。そういう文章を今後も子供たちに紹介してゆきたい! 

f:id:kirutokira:20200809015158j:plain

初めて読んだ時ドキドキしたのを覚えています。

 

ドルチェ&ガッバーナの

 先日、瑛人さんの楽曲『香水』をiTunesでダウンロードした。車の中で友人と聞いていたら香水の話になった。

「ドルチェ&ガッバーナの香水ってどんなのだろうね?香水にもブランドがあるでしょ。その中で敢えてドルチェ&ガッバーナの香水を選ぶってどうなんだろ?」

「俺香水の事なんて詳しくないけど・・・。そういえば学生で免許取りたての時に、5つくらい年上の看護師やってる女性にドライブに連れてってもらった事あったな。その人がドルチェ&ガッバーナの服を着てた。香水じゃないけど。ブランド名を前面に押し出した服。」

「服でも何でもそうだけど、あんまりブランド名を前面に押し出し過ぎた物って好きじゃないな。」

「確かに、さり気なくアピールするくらいならいいけどね。」

「好き好きだから何とも言えないけどブランドで身を固めている人って何処か自分に自信がないんじゃないかなと思う。」

「うん、でもいい人だったよ。特別美人って訳でもなかったけど・・・。その人なりに色々・・・家族の事とか問題抱えてて、それで自分を奮い立たそうとして頑張ってたんだと思う。その意味でブランドの力を借りてたのかも。だからねあんま悪くいえないんだ。実際にドライブに連れてってもらった頃はそういうこと解らなかったけど・・・今なら解る。年取ったからね。」

「そうだね・・・。長谷川、お主カッコイイな!」

「よせやい(笑)!。」

 そこで友人を降ろして私は帰路についた。そのドルチェ&ガッバーナの服を着た看護師の女性を最後に見かけたのは私が仙台を去る数日前だった。中心街で彼氏らしき人と買い物をしていた。ハンサムで誠実そうな人だった。今頃どうしているだろう?きっと幸せを見つけられたんじゃないかと思う。

 瑛人さんの楽曲『香水』を聞きながら昔を思い出した。

www.youtube.com

f:id:kirutokira:20200802182102j:plain

香水・・・詳しくありません。

「長谷川漣の何処吹く風」その4もあわせてどうぞ!『劇薬』がおすすめです!

https://www.gentosha-book.com/creators/hasegawa-essay04/

 

そもそも

 その日はとにかくさっぱりしたものが食いたかった。月に一度の病院の日。午前から診察を受け、病院の近くのお店で昼食をとり、そのまま職場に向かう。繰り返しになるがその日はとにかくさっぱりしたものが食いたかった。「今日は蕎麦だな。蕎麦しかない。前回行ったあの店で食おう。あそこ店構えは古かったけど美味かった。」近くには蕎麦屋が二軒ある。一方は店構えこそ立派だがあまり美味くない。もう一方は古くてこじんまりしているが蕎麦は旨い。「あっちの蕎麦屋に決まりだ。」そう決めると診察を待つ間も蕎麦の事が頭から離れなかった。診察が終わり、支払いが済むと一目散に車に乗り込んだ。「目指すは蕎麦だ。」道順的に一軒目の大きな方の蕎麦屋を通り過ぎ、二件目のこじんまりした方の蕎麦屋に車を止める。するとなんと「本日休業」の文字が!「なんだよ、休みかよ!」どうしたものか?仕方なく車を進行方向に向かって出した。「さっきのでかい方の蕎麦屋に戻るにはどっかでUターンしなきゃならないし、参ったな。」と思いながら車を走らせていると、以前に立ち寄ったことのある横浜家系のとんこつ醤油ラーメンの店が見えてきた。「あ~もう、Uターンするのも面倒くさいし、あのラーメン屋でいいか。前食った時うまかったしな。いいやラーメンで。」とよく考えもせずにその横浜家系のラーメン屋に入ってしまった。結果とんこつ醤油ラーメンを食う事になったのだが、・・・これが我ながら大失敗だった。そのラーメン屋さんの名誉のために言っておくが決してそのラーメンが不味かったのではない。とんこつ醤油ラーメンとしてのそのラーメンは十分に合格点だ。でも、そもそもその日私はさっぱりしたものが食いたかったのだ。だから蕎麦を選んだのだ。それが何でよりによってとんこつ醤油ラーメンを食っているのか?こってりしつこい食い物の代表格ではないか?俺は何をやっているんだ!?思わず自問自答してしまった。結果、半分近くそのとんこつ醤油ラーメンを残す羽目になった。ああ勿体ない事をした。

 たまにこういうことがある。そもそもの目的を忘れて、本来の主旨と違う事をしてしまう。例えばデニムを買いに行って、安くなっていたからと言ってジャケットまでついつい買ってしまう。結局そのジャケットはほとんど着ないままになる。そういう類の失敗だ。何かの本に「名将とは戦いの目的を明確に定め、それが達せられたなら無駄に長居せずに戦場を去る」とあった。どうも今回の戦い、私は愚将の極みと言うべきだったようだ。やれやれ。

 まあ何にせよ、「そもそも」って大事だ。道に迷った時は立ち止まって「そもそも」と考えなおしてみると本来の目的を再確認できるし、その方がシンプルに生きられる。ただ惜しむらくは今回運転中だったため立ち止まるわけにもいかず・・・。まあ「覆水盆に返らず・後悔先に立たず」という事で今回はこれまで。ちゃんちゃん。

f:id:kirutokira:20200801053309j:plain

無性に蕎麦を食べたくなる時ってありませんか?

https://www.gentosha-book.com/creators/hasegawa-essay04/

「長谷川漣の何処吹く風」その4もあわせてどうぞ!『劇薬』がおすすめです!

ヒマ

「ハセッチ、ひま~。」

いつもの学童での一風景。

「ゲームとか本とか飽きちゃったの?」

「うん」

「じゃあ、Fさんに面白いこと教えてやろう。地球上にはいろんな生き物がいるけど、ヒマを持て余しているのは人間だけなんだって!すごくない?どう?為になった?」

「別に~。ヒマだっていうのはね、人生終わってるってことだよ。」

「オイオイ、ちょっと待ってくれよ。ハセッチなんか年中ヒマだよ!ハセッチの人生を終わらせないでくれよ。(笑)」

 私がヒマと聞いて私がまず思い出したのがマンガ『寄生獣』(岩明均 講談社)のラストシーン。

「そりゃ人間がそれだけヒマな動物だからさ だがな、それこそが人間の最大の取り柄なんだ 心にヒマ(余裕)がある生物、なんと素晴らしい。」

と言うセリフ。どうやらその児童には響かなかったらしいが、結構大事なことを言っている。何かと忙しい現代社会に生きる我々は「ヒマ」と言うと否定的にとらえがちだ。「リア充」と言う言葉がそれを如実に表している。でも、本当にそうか?そんなにヒマって悪い事なのか?私は結構ヒマが好きだ。ヒマな休日は図書館、ツタヤ、ブックオフと言うのが定番になっているし、最近は中田敦彦さんのyou tube大学もよく見る。ボケっと一人で物思いにふけったりもするし、それを今みたいに書き留めたりもする。また、好きな音楽を聴きながら車を走らせることもあるし、今は遠く離れた古い友人を想ったりもする。無論、ごろ寝するのだって良い。ヒマで問題なのは人恋しくなる時だ。人は人である以上、誰かとコミュニケイトせずにはいられない。コミュニケイトする相手がいないのは確かに寂しいものだ。逆に、いつもいわゆる「リア充」で誰かしらと一緒ならば一人の時間が欲しくなる。この二つのバランスがとれた状態が望ましいのだろうが、私としては少し寂しいくらいが丁度よいのではないかと思う。人のありがたみが解るからだ。何事もそうだが少し空腹なくらいの方がよいのだ。

 先にあげた児童が単にヒマだったのか、それともいい話し相手が先に帰宅してしまい、寂しかったのか。そこまでは解らなかったが、ヒマならばヒマについて考えるのも一興だと思って『寄生獣』のセリフを聞かせてみた。もし可能な事なら『寄生獣』を読んでみるのもよい。『鬼滅の刃』が十分にわかるくらいだから『寄生獣』だって解るのでは?と思ったが、さすがにそれは学童の範囲を超えている。私にはどうしようもない。ただ、スポンジが水を吸い取るように様々な事をどんどん吸収できる年頃なのだ。「ヒマだ~。」なんて言っている時ではないのでは?とも思うのだが・・・。自分が読んで感動した本やマンガを是非この子たちにも読ませてやりたい。それは子供たちと接していて常日頃思う事だ。マンガや本がどれほど私の人生を豊かにしてくれたことか。世界には面白いもの、素敵なものが溢れている。是非、彼らが「ヒマだ~。」なんて言う事のないようにしてやりたい。

f:id:kirutokira:20200729011424p:plain

当時、凄く衝撃を受けたのを覚えています!

「長谷川漣の何処吹く風」をの4が近日公開!あわせてどうぞ!

https://www.gentosha-book.com/creators/

 

空気の読めない・計算のできない

 「正確には『可愛い』と言うよりも『哀れな』と言う方が的を射ているというべきだな。」隣で知人が言った。あるニュース番組で群れから離れて浅瀬まで来たイルカの事を扱っていた。イルカは集団で行動する。その群れからはぐれてしまったのだから『哀れな』と言うべきだと知人は言っているのだ。もしくはイルカの社会にもいじめがあるのだろうか?それともこのイルカは我々人間社会で言うところのいわゆる「計算」ができなかったのだろうか?はたまた「空気」を読めなかったのだろうか?このエッセイで過去に論じてきたようにイルカやクジラに共有意思のようなものがあるのだと仮定するなら、脳のその能力を司る部位に欠陥があったのかもしれない。そこまで踏まえて知人は「可愛い」と言うよりは「哀れな」と言う方が的を射ていると言っているのだ。

 話しは移るが、先日中田敦彦さんのyou tube大学で夏目漱石の『坊ちゃん』を扱っていた。そういえば生粋の江戸っ子である坊ちゃんも、会津出身の山嵐も、空気の読めない、計算のできない男だった。上手に空気を読んで計算をして、影の権力者である赤シャツやその太鼓持ちである野太鼓に逆らわなければ自分一人の身は安泰だったのに・・・。中田さんによれば江戸から明治へと移り行く時代の中、去り行く古いタイプの人間像を江戸っ子である坊ちゃんと会津っぽ山嵐が象徴したのだとか。江戸と会津、双方とも旧幕府側だ。また、面白いのは二人とも数学の教師である事だ。数学の計算は出来ても人生の計算は出来なかったのかもしれない。いいじゃないか。人生の算盤ばかり弾いているような奴が私は何より嫌いだ。

 その意味ではずいぶん舞台は異なるが、ジョルダーノ・ブルーノと言う人物が面白い。歴史上、「宇宙は無限だ」と公言した初めての人で、結局その発言がもとで火あぶりに処せられてしまう。「裁かれている私よりも、裁いているあなた方の方が、真理の前におののいているではないか?」と言う言葉があまりにも有名だ。その他にもソクラテス、イエス、ルター、吉田松陰、私が好きな歴史上の人物は皆、空気を読めない。計算ができない。その状況でそうするのか?と聞き返したくなるような選択をする。でも、だからこそ記憶に残るのではないか?愛されるのではないか?私も記録よりも記憶に残るようなそんな男になりたい。

 ところで今あげた人物は皆男性だ。私の経験から言えば女性社会とは計算といかに空気を読むかで成り立っている。それでいいと思う。自らとその授かる次の命を守るのが女性の役割で、理想に殉ずるとか、真理を追究するというのはどうやら男性の役割らしい。そう考えると計算ばかりしている男性が目に付くというのは男性が女性化しているという事なのか?と思ったりもする。

 何にせよ、それが正しかったと証明されるのが10年先になろうが100年先になろうが、私は自分の信じた道を行く。そう「裁かれている私よりも、裁いているあなた方の方が、真理の前におののいているではないか?」ドドーン!!!(喪黒福造風に 笑うセールスマンより)

f:id:kirutokira:20200723214418j:plain

ドドーン!!!

「長谷川漣の何処吹く風」その3もあわせてどうぞ。ドドーン!!!

https://www.gentosha-book.com/creators/hasegawa-essay03/