どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

人生最大の・・・

以前にも書いたが私は昔、神奈川の私立女子校に世界史の教員として勤めていた。その学校では今はどうだか知らないが、私のいた当時は男性教員の7から8割りは生徒と結婚していた。こう聞くと教師の側がそう誘導したかのように思われるかもしれないが、多くの場合、事実はその逆だ。一般企業に勤めて解ったのだが、我々社員は大人として適度な距離感をもってお互いに接している。それはそうだ。業務が円滑に進むように上下間、同僚間の適度な距離感が必要不可欠だ。それが、学校では違う。生徒は半分子供で自由である分、平気でその距離を縮めてくる。いわば、大人として自分の周りに張り巡らしている心理的障壁を軽々と蹴破ってくる。良くも悪くもだ。であるからにはそこで両者が心理的に近しい関係になるのは致し方ないことかもしれない。結果、男性教師の大方は生徒と結婚するという構造になる。もっとも例外はあるだろうが・・・。さてこんな私にもというべきかそれなりの出会いはあった。ある日職員室で23年上の女性教師と仕事の話をしていたところ、ある生徒が戸口からはハセガワ先生、ハセガワ先生と手招きをする。のこのこと出ていったところ、それまで話していた女性教師が「何の話してんの?」と咎めるように聞いてきた。するとその生徒は周り中に聞こえる声で「恋ばな~。」と答えた。女の争いに教師も生徒もない。「仁義ね~な。」と思ったのをよく覚えている。その生徒は「私のおならジャスミンの香りでしょ。」と平然と豪語する子で、いわゆる美人ではなかったが、愛嬌のある顔立ちと抜群のユーモアがあって、結局私の心はその子にもってかれてしまった。ビニール傘を渡してこれで何かボケてご覧とお題を出すと、すかさず「でかすぎる耳かき」と答えるような子だった。他の誰かにとってどうだったかは知らないが、少なくとも私にとっては1学年400人が3学年で1200人、その千人以上の中でもっともフィットする生徒だった。いろいろあって結果的に私が精神に失調をきたしたこともあり、結局その子とは物別れに終わった。今にして思えば何度も機会はあったのに、当時仕事で精いっぱいだった私はその子を受け止める余裕がなかった。今までの人生において大概の事は(その学校での職を辞したことも)仕方ないで笑って済ませられるが、その子を失った事だけは悔やんでも悔やみきれない。人生最大の失敗だった。ただ、宇多田ヒカルさんの楽曲『花束を君に』の歌詞に「毎日の 人知れぬ苦労や淋しみも無く ただ 楽しい事 ばかりだったら 愛なんて 知らずに済んだのにな♪」とあるように、その子を失って初めて愛ってこういうものかと解ったのも事実だ。なんでもそうだが無くしてみて初めてそのありがたみに気づくというのは古今東西一緒なのかもしれない。10年以上たって風の噂に聞いたところその子は無事?結婚して幸せに暮らしているとの事。私にとってその子が特別だったようにその子にとって私が特別であって欲しいと思っていたが、そんなに現実は甘くない。私がいなくなればなったで別の人に別の魅力を見出す。それが「相対化」という事だ。それが解るくらいには私は大人になった。さて、この文章にどう落ちをつけようかと考えながら書いてきたのだが、どうにもこうにも落ちがつかない。ただ以前「なんで、結婚しないの?」と聞いてきた現在小学6年の甥っ子にはいつか、そう、もう5年もしたらこの文章を読ませてやろうと思う。「本当に好きなもの必要なものが何かわかったらそいつは絶対に手放しちゃいけない。」と添えて。

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名曲です。