どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

ペルソナ

 先日、夢の中で職場の方々(主に女性)が私の噂をしていた。

「○○さんは本なんか出してどうなりたいんだろね?」

それを聴いたMさんと言う方が

「違うの、あの人は長谷川 徹なの。○○ ○(本名)は仮の名前なの!」とおっしゃっていた。なんだか、揶揄されているのか、援護されているのか解らないが、どっちにしても面白いことは確かだ(笑)。この方は夢の中でまで笑いを取りに来るのか?凄いな!と思わず感心して愉快な気分で目が覚めた。

 さて私のペンネームだが姓の「長谷川」は学生時代の恩師からいただいた。(無断で頂いたので、いつかきちんとした形でお礼せねばと思っている。)下の名前に関しては正直どうでもよかったので、適当に付けた。たけしでもアキラでも何でもよかった。しかし、「長谷川 徹」で検索してみて初めて分かったのだが、現役Jリーガーをはじめ、著名人が結構いらっしゃる。適当に付けすぎたかな・・・と思った。まあよい、都合が悪ければ変えればよいだけの事だ。ただ姓の「長谷川」は変えるつもりはないのでご了承いただければ幸いです。

 ペンネームをつけるという行為は、いわば仮面(ペルソナ)をかぶることと似たようなものです。どんなサイズで、どんな色で、どんな形でと考え始めるときりがありません。仮面をつけた時にこそ、その人の本領が発揮される。そんな仮面を選びたいものです。

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究極!!変態仮面』1992~1993、週刊少年ジャンプ集英社)より

 

「不可能」なんてありえない

「不可能」なんてありえない

 

「不可能」とは、自らの力で世界を切り拓くことを放棄した、臆病者の言葉だ。「不可能」とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない。「不可能」とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。「不可能」とは、誰かに決めつけられることではない。「不可能」とは、通過点だ。「不可能」とは、可能性だ。「不可能」なんて、ありえない。

 

IMPOSSIBLE IS NOTHING.

                                    モハメド・アリの言葉

 

 

上記は故モハメド・アリ氏の言葉です。この度、私が本を出版するにあたりタイトルとして使用させていただきました。

話は変わりますが、つい先日、何気ない会話の中で「(あの人)世間知らずだから・・・」というフレーズが耳に入ってきました。これは聞き捨てならないなと思いました。「世間知らず」いいじゃないですか!「何も考えず世間に順応しその歯車」になってしまうよりも「世間知らず」だからこそ、「世間の在り様」が本当に正しいのか?それを曇りなき眼でとらえ、必要とあらば「世間」をよりましなものへと変えていこうとする意志が生まれるのではないでしょうか?人類ってそうやって進歩してきたのではないでしょうか?モハメド・アリ氏については今更説明する必要はないと思いますが、彼の採った「国だろうが何だろうが、間違っているものは間違っている」という態度が後に歴史的に評価されたのは言うまでもありません。彼の言葉にこそ我々は学ぶべき点があると思うのです。

そんなわけで、私(長谷川 徹)の著書

『「不可能」なんてありえない』

41日、Amazonにて発売されます。

価格は¥2203(税込み・送料込み)とオンデマンドでの出版のため正直少し高く設定されてしまいましたが、生活に余裕のある方は是非ご購入いただけるとありがたいです。

以下、Amazonのサイトに本の紹介文等が載っています。そちらも併せてご覧ください。

Amazonの販売ページに移動する

それでは、今後とも、よろしくお願いします。

2019318日 長谷川 徹

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モハメド・アリに敬意をこめて

 

相対化

個人にアイデンティティーが必要なように、共同体にもアイデンティティーが不可欠だ。それが神話である。上橋菜穂子先生の小説で、自分の民族の創生神話が絶対だと信じて疑わなかった主人公が他の民族の長に次のように諭される場面がある。

「私達の神話はあなた方のそれとは異なるものだが、だからと言って我々はあなた達の創世神話を否定したり、優劣を競ったりするつもりはないのだよ。」

それを聴いた主人公は衝撃を受ける。正確な文面は忘れたが確かその様な内容だったと思う。成熟した大人の意見だ。自らを相対化することで、他の神話をも肯定している。非常に示唆的だ。まさに現代に求められる多様性と言える。さて私は前回の文章で「お釈迦様」と言う仏教徒にとってのアイデンティティーを「相対化」した。これについて思うところがある。

どんな宗教の信者であれ、その人が敬虔な信者であればあるほど、自らの宗教を「相対化」する事が難しくなってしまうのではないか。つまり自身を外側から見るという視点を失いがちだ。視野を広げるとは、もしくは歴史を学ぶとは、自らを「相対化」することに他ならない。それが出来にくくなる。宗教というものの悪しき側面はまさにその一点に集約されると思う。全能の神などと言うものに対して私は以下のように考える。

 全能と言うからには自らに従わない者を創り出してみればよい。創り出せれば、創り出された者は従わないのだから、全能ではないし、創り出せないとすればやはり全能ではない。つまり全能の神などと言うものはありえない。

これが私の持論だ。その点、釈迦とは妻子を捨てて修行に出た極々人間的な存在で、それもあって今回、芥川龍之介の描きだした「釈迦像」を「相対化」してみたわけだ。絶対的な存在というものに私は常に懐疑的だ。何故ならそれを受け入れてしまった時点で自ら思考することを放棄してしまうからだ。こんなことを書くと、どこぞの宗教団体に背中から刺されそうだが・・・まあそれも仕方ない。表現するという事は常にリスクを伴うものだから。だからと言って誰も何も表現しなくなった時、その共同体は自浄作用を失ってしまうのではないだろうか?それこそが最も恐ろしいことだと私などは愚考するのだが・・・。まあ、その時は仕方ない。尻尾を巻いてすたこらさっさととんずらだ・・・(笑)。

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お釈迦様が真に尊敬に値する人物であったなら、あんな巨大な仏像など赤面してしまうに違いないと思うのですが・・・

 

 

蜘蛛の糸 ~新解釈~

 『お釈迦様はある日の朝、極楽を散歩中に蓮池を通して下の地獄を覗き見ました。罪人どもが苦しんでいる中にカンダタ(犍陀多)という男を見つけました。カンダタは殺人や放火もした大泥棒でしたが、過去に一度だけ善行を成したことがありました。それは林で小さな蜘蛛を踏み殺しかけて止め、命を助けたことでした。それを思い出したお釈迦様は、彼を地獄から救い出してやろうと、一本の蜘蛛の糸カンダタめがけて下ろしたのでした。』(ウィキペディアより引用し文末を変えました。)

 

 暗い地獄で天から垂れて来た蜘蛛の糸を見たカンダタは「この糸を登れば地獄から出られる」と考え、糸につかまって昇り始めました。するとそれを見ていた別の罪人たちが「おい、俺たちにも昇らせろ!」と群がってきました。犍陀多は言いました。「ああ、いいさ。俺は丈夫だから最後でいい。弱ってる奴から先に昇れ!細い糸だから切れちまわないように一人ずつ昇れよ。」それを聴いた罪人たちは我先にと昇り始めました。そうして、犍陀多を除いた罪人全員が昇り切った後、ようやく犍陀多は糸を手繰り寄せ昇り始めました。それを蓮池の上から見ていた釈迦は何を思ったのでしょう、犍陀多がずいぶん高くまで昇ったところで蜘蛛の糸を犍陀多の真上でプツリと切ってしまいました・・・・・・・。

 そうです、お釈迦様もまた人の子です。犍陀多の罪人らしからぬ尊い行いに、御心を奪われてしまったのでございます。お釈迦様にとって犍陀多は、自らの気まぐれの慈悲により地獄から救い出してやろうとした罪人に過ぎません。そのたかが罪人に心を奪われたご自身をこそ許せなかったのでございます。その思いは犍陀多にも伝わりました。「己は人も殺したし、随分酷いこともやった。でも最後お釈迦様にやっかまれるぐらいなら、十分だ。十分生きた。」今度こそ、地獄も極楽もない永遠の眠りへと落ち行く中で最後に犍陀多は微笑んだのでした。

                                     おわり

 

※お釈迦様はなぜ蜘蛛の糸を断ち切ったのでしょう?

※極楽へと登った罪人たちはお釈迦様の行為を見て何を思ったでしょう?

※なぜ最後に犍陀多は微笑んだのでしょう

※極楽とはどんなところでしょう?

御一考ください。

芥川龍之介に敬意をこめて~ 

長谷川 漣

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芥川龍之介に敬意をこめて

 

デトロイト・メタル・シティー

 小学5年の甥っ子が遊びに来て私の部屋の押し入れを漁る。そこで彼が見つけたのがマンガ『デトロイトメタルシティー①~⑩巻』(若杉公徳著)の登場人物カミュのフィギュア。(未開封)「何これ?」という甥っ子に対し私は「それはほんとに面白いキャラクターのフィギュアなんだ!大好きなんだよ!」甥っ子は「ふーん。で、いくらだったの?」私が「特価950円、将来、プレミアついて絶対高くなるよ!」と答えると、甥っ子は「今いくら?」と聞いてくる。私は「よし、Amazonで調べてみるか?」調べた結果は新品でなんと864円!

「なんだ、安いじゃん!」とがっかりする甥っ子。私は「いや将来、絶対高くなるって!」

甥っ子は「高くなったら売る?」と。私が「うーん1万円越したら売るかも。」と言うと、

甥っ子は「なんだ、愛がねーな。

それを聞いた私はなんだか嬉しくなってしまった。私が小学5年の時、愛について何を語れただろう?小学5年の甥っ子がなんだかとても誇らしく思えたのだ!

 

デトロイトメタルシティー①~⑩巻』(若杉公徳著)は一見すると本当に下品なしょうもないマンガなのですが、きちんと読むと本当に本当にピュアな青春マンガなのです。読むからにはきちんと読んでみてください!お勧めです!

 

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読むからには、きちんと読んでください!面白いです!!

 

I need to be myself

 書籍化に当たってこれまで書いてきた文章を読み返してみた。どれも不惑(40)を超えた人間の書いた文章としては幼いのではないか、良くも悪くも俺は俺自身以外の何物にもなれないな。と思った次第だ。で、思う。それでいいじゃないかと。一番怖いのは自分自身を見失ってしまう事だ。背伸びをしたり、縮こまったりしないでありのままの自分で行く、これが一番大切なんじゃないかと。世渡り上手な俺、とか、大人な俺というのは一向に自分らしくない。そんな文章誰も読んでくれやしないのではないか。四十を越して私は自分自身の再発見だ。笑いたければ笑えばいい。俺は俺以外の何物でもないのだ。

 

I need to be myself ♪

I can be no one else ♪

 

Oasis 『Supersonic』 より

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ギャラガー兄弟



ありがとう、そして・・・

「ありがとう、そして、ありがとう!」

このフレーズ何か可笑しくありませんか?私はこのフレーズを初めて聞いたとき面白くなってくすくすと笑ってしまいました。「ありがとう、心から、ありがとう。」とか、「ありがとう、本当に、ありがとう。」なら話は解るのですが、「ありがとう、そして、ありがとう!」なのです。そしての使い方が間違っているのでは?と思うのは私だけでしょうか?(笑)とにかく感謝の意が伝わってきます。しつこいくらいに!感謝の二乗とでも言ったところでしょうか?ちょっと対応に困る言い回しでもあります(笑)。

 

『この言い回しはアニメ『TIGER & BUNNY』の登場人物、スカイハイのセリフである。ヒーローアニメであるTIGER & BUNNYにおいてキング・オブ・ヒーローと讃えられるスカイハイ。人気と実力を兼ね備えたヒーローの中のヒーローで、非常に真面目な性格であるが、実は天然キャラ。そんな彼が派手なジェスチャーと共に口癖のように言うセリフが「ありがとう!そして、ありがとう!」なのである。

 また、このセリフを言う時のポーズが両手を選手宣誓の時のように挙げることから「\宣/」このようなAAで表現される。「宣」という文字はスカイハイのマスクを正面から見るとこのようなデザインであるところからきている。』

(あらゆる元ネタ・由来を解説するサイト タネタンより)

 

 さて、話は変わりますが、足掛け3年にわたって綴ってきたこのブログがついに書籍化されます。初めは公募に応募して何か賞でも取れないかと模索してみたものの、いわゆるエッセイに対しての賞というのは稀で、しかもテーマが設定されているものが多く、私のように自由なテーマで綴られた文章というのはなかなか賞に結び付きません。では自費出版をと考え、主要な出版社をネットで当たってみた所、どこもペイするために200万~300万はかかるとの事。それならばクラウドファンディングでもやってみるかと思い立って、これまたネットで調べてみたところ、クラウドファンディングも寄付型、購入型、金融型とあり、個人のブログを出版するにはどの型もハードルが高い。どうしたものかなあ、と思案していたところ以下のようなサービスを見つけました。

https://myisbn.jp/

たった4980円から本を作ることができるというサービスです!本はAmazonにて受注生産されます。つまり、在庫を抱える必要がなく、著者にとっても、出版する側にとっても、限りなくローリスクで本を作ることができます。原稿はワードを用いて作成します。表紙も自分で作ろうと思えばできないことはないのですが、背表紙の真ん中に文字が来るように調節したり、パワーポイントを用いたりと面倒が多いので表紙だけは外注することにしました。それでも2万円~3万円あれば十分です。業界の通常の十分の一の価格との事。これはやってみる価値ありと思い早速、連絡を取りました。現在、製作中です。遅くとも半年後にはAmazonにて購入可能になるのでは?と考えております。今まで書き溜めたエッセイの中から50編を選んで加筆修正しました。タイトルは

『「不可能」なんてありえない』

価格は1000円~1800円くらいを考えています。そして、なんと価格の一割が印税として著者(私)に転がり込んでくるとの事です!素晴らしいではありませんか?物好きにもご購入をお考えのあなた、もしくは、人助けと思ってご購入をお考えのあなた、少しフライング気味ですが、次の言い回しでもって感謝の意を表したいと思います。

 

「ありがとう、そして、ありがとう!」

                     

ペンネーム 長谷川 徹)

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ありがとう、そして、ありがとう!