どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

夢見させるようなこと

 もしこの文章をお読みの方に当時の事をご存知の方がいらっしゃったらよく解ると思うのだが、私が転職活動を初めたところ学校は(少なくとも私が授業を担当していたクラスは)大いに荒れた。荒れまくった。当時、私は在職のままで他校の社会科教員募集に応募していた。無論私は誰にも口外していない。どこで漏れたのかもしくは意図的に漏らされたのかは解らないが、私の転職活動はどうやら学校中で周知の事実になってしまったようだった。生徒は正直なもので怒りをストレートにぶつけてくる。「なんでうちらのこと見捨ててほかの学校受けてんだよ!」とはさすがに言葉に出さない。しかし目が雄弁にそれを物語っている。わたしだって言ってやりたかった。「別に君らは悪くない。悪いのは生徒よりもむしろ教師。」「君たちは3年いたらそれで終わりだけど、俺は一生いなけりゃならない。一生ここにいるのかと思うと馬鹿臭くなってしまったんだよ!」等々。無論そんなこと言えるわけもなく、私は淡々と授業を進めたが授業が成立しなかったという方がより事実に近い。

なぜあれほどに生徒が荒れたのか?以前にも述べたが愛情と憎悪は表裏一体で、言い換えれば、それだけ私は生徒から好かれていたのだろう。無論それは相対化可能な事であって、私がいなくなればなったで生徒は別の教師に別の魅力を見出したであろうし、もっと言ってしまえば、私なんぞ足元にも及ばないくらいの人気実力ともに兼ね備えた教師がいれば、私がどこの学校を受けようが誰もとがめはしなかっただろう。世の中ってそういうものだ。そういうことを理解できる生徒は内心はともかく、表面には怒りをあらわにしなかった。大人だった。彼女達には本当に申し訳ないことをした。

これら一連の出来事から私が学んだのは「転職活動はよっぽどのことがない限りは前職を退いてから」という具体則ではなく、人は気安く「夢見させるようなこと」してはならないという一般則だ。もしくは「責任」という言葉の意味についてだ。自分で言うのもなんだが私は当時の生徒たちに「夢見させるようなこと」してしまったのかもしれない。「世界史は長谷川先生がいる。」とか、「三年間この学校に通えばあの先生に会える」とか。どれもたわいもないことだが、彼女たちにしてみれば重要なことだったのだ。そう、気軽に人に「夢見させるようなこと」してはならないのだ。人は自身の責任の範囲内で話し行動すべきなのだ。責任をとれもしない言動をしてはならないのだ。私自身これら一連の出来事を通じて少しだけ大人になった。もっとも代償も大きかったが・・・・。

さてこの文章をお読みの皆さんは「夢見させるようなこと」してませんか?私自身は夢見がちではあっても、「夢見させるようなこと」はしないよう気を付けているつもりです(笑)。

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本当に良い少年マンガです!!(『スラムダンク』 井上雄彦先生より)