どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

お知らせ

今回は結論から

 

まことに身勝手ではありますが

本日2024年6月5日をもってこのブログ

『長谷川漣のどこ吹く風』

は発表の場所を

はてな】・【講談社ノベルデイズ】から

下記の独自ドメインに移します。

 

長谷川 漣のどこ吹く風 | ハセレン (dokohukukaze.com)

 

もしくは【ハセレン】で検索してください!

 

なお、【はてな】と【講談社ノベルデイズ】に掲載の

『長谷川漣のどこ吹く風』は2024年6月30日をもって閉鎖いたします。

 

私に表現の【場】を提供してくださった

 

はてな の皆様

講談社ノベルデイズ の皆様

そして、私のつたない文章を根気強くお読みいただいた読者の皆様

 

本当にありがとうございましたm(__)m。

今後とも【ハセレン】こと長谷川 漣を何卒よろしくお願いします!

 

2024年6月5日   長谷川 漣

今後ともよろしくお願いします。

 

失敗を恐れるな!

 先月の半ばからずっと続けて来た簿記の勉強を今日すっぱりとやめることにした。のみならず5/31(金)に予定していた試験のほうもキャンセルした。延期はしない。あまりにも苦痛だからだ。数学や現代国語の問題を解いている方が面白い。ついでに言うならこのエッセイ?らしき文章を綴っている方がはるかに面白い。

 

 こうしてみると自分は考える事、そして考えた事を表現するのが好きなのだと改めて実感する。逆に簿記の勉強は、考えるというよりは機械的に処理する作業の繰り返しだ。(私にとって)つまらないわけである。テキスト代と試験の代金を合わせて1万円弱が消えた。これを無駄な出費とみるか、良い勉強になったと見るかは今後にかかっている。未来のありようで過去の解釈は変わるのだ。代わりにと言っては何だが、( 『マンガでやさしくわかる決算書』岩谷誠治著 )をメルカリで購入した。622円である。

 

 それにしても、以前の自分なら岩にしがみついてでも試験日まで勉強を続け、試験を受けていただろうなと思う。自分で言うのもなんだが、以前の私は【失敗を恐れる生き方】をしていた。それが何時からか「他人に何と言われようが構うものか!つまらん物はつまらん!それよか時間がもったいない!」と思えるようになった。これは大きな進歩と言うべきだろう。いったい何時からかな?と考えたら、やはり統合失調症を患ってからだと気づいた。

 

 何でも親父に病院に連れていかれるとき

「精神病院なんかに行ったら俺のキャリアに傷がつく!」

(病院関係者の皆さんごめんなさい。大変お世話になりましたm(__)m)

とわめいたそうだから、そうなのだろう(笑)。≪そうだから≫と言うのはそのころの記憶は今ではあやふやだからだ。

 

 精神病院に入院したことは今にして思えばいい経験になった。精神を患おうが、人は回復するし、人生は続く。転んだらその事実を受け入れて、立ち上がってまた歩き出せばよいのだ。

 

 それまでの私が【失敗を恐れていた】のは、つまりは人の目を気にしていたのだろう。世間体って奴だ。作られた枠組みの中で、努力して良い結果を出し、周囲から褒められる。世間体ってまあそういう事だ。これを保守ともいう。そんな事に囚われていたかと思うと・・・なんとちっぽけな人間だった事か私は。このことに40代で気づいたのは若干遅かった。10代のうちに気づいていれば、もっと有意義な人生を送れていただろう。もっともうちの母などは70代になってもその事に気づかない。もしくは気づけない。その事を皮肉って、妹と母を指して

「あなたたちは保守友だね。」

と言うと

「ウルサイ!」

と怒られた。

 

 まあ、なんでもよいが、自分の人生の枠組みは自分で作り出すものだ。その過程でトライ&エラーは、つまり躓いたり転んだりするのは当然の事なのだ。それが致命傷になるのでなければ失敗を恐れる必要なんてかけらもない。作られたレールの上を、染み込まされた価値観に従ってなぞる事のなんとむなしい事か!

 

 そんなわけで、この文章を読んでくれている全ての若人に、そして以前若人だった全ての人に告ぐ

 

「失敗を恐れるな!」

これさえあれば!

 

 

点ではないのだから

 学校であれ、学童であれ、塾であれ、教育の現場に従事したことのある人間なら必ず聞いたことが、または用いたことがある表現に、【いい児童】【いい生徒】がある。それは具体的には≪まじめで従順な≫と言う意味に等しい。言葉を補うならば、それはつまり≪教師にとって都合のいい児童・生徒≫と言う意味だ。無論その逆に、教師にとって手のかかる、つまり都合の悪い児童・生徒もいるわけで、そちらは概ね≪問題児≫と呼ばれる。年度変わりのクラス替えの際、この問題児を誰が受け持つかで教師の側は神経戦が繰り広げられるわけだが・・・。

 

 かくいう私も教師をしていた時はこういった≪問題児≫を忌避していた。高校生にもなって、授業を受ける気がない、それだけならまだしも、授業を積極的に?妨害するような生徒をどうして学校側が受け入れる必要があろうか?そのような者はさっさと退学にしてしまえばよい。学校は勉強を教えるところで、いわゆる躾(しつけ)は家庭で身に着けるものだ。というのが私の持論だった。この持論を推し進めれば、しつけの行き届いている児童・生徒ほど、その保護者が教育に関心を持つ場合が多く、必然的にそういった家庭の子弟は進学校に進む。(無論、例外はある)よって私自身、進学校で教鞭をとることを望んだのだが・・・。

 

 いわゆる問題児に出会うのは統計的・確率的に仕方のない事だ。当時の私はそう思っていた。進学校に行けば統計的・確率的にそれが減るだろうと。おそらく私の見立ては間違ってはいない。間違ってはいないが、若干機械的だった。もしくは人間味に欠けていた。当時の私は生徒を≪記号≫と見なしていたのだと思う。彼らは血の通った人間だった。

 

 今日、泥ノ田犬彦先生の(『君と宇宙を歩くために』講談社 2023)を読んでそう思った。

 詳しくは実際に手に取って読んでいただけるとありがたい。

 

 劇中、天文部の先生が

「一体どのくらいの人が、【点だと思っていたものが、点ではなかった】と気が付けるでしょう。」

と述べている。このマンガ第1巻のハイライトだ!

 

 もしもう一度、教鞭をとる機会があるなら、今度は進学校などとこだわらずともよい。テストや受験のことなど気にせず、自分で考え、調べ、班を作って競わせ、もっと生徒が目を輝かせるような面白い授業をやってみたい。もっと生徒が自ら考える自由な世界史の授業をやってみたいと思う。何故なら、月並みな締めくくり方で恐縮だが、「生徒は点ではないのだから。」

有難うございました。





 

ありがたい話

 今日いつもの面子で、いつものように喫茶店でだべっていると、「もう一度人生があるなら、どんな仕事をしたいか?」と言う話題になった。

 

 私は「教育関係の現場で働きたいが、少子化だから塾は先細りだしなあ・・・。」と。それとは別に『驚きと感動の種をまく。』を社是として≪勉強もテストもやらない≫教育サービスを展開する【探求学舎】と言う会社を紹介し、「こんなところで働けたらなあ!」と伝えた。ちなみにこの会社は東京の三鷹にある。

 

 10コ下の友人は、「できるなら起業したいですねえ!」という。

 

 最後に、私とタメの友人は「俺はホストクラブの№1ホスト兼オーナー。ズバリ行列ができるホストクラブ『クラブYちゃん』の№1ホストYちゃん!」

 

 「いいですねそれ!」と10コ下の友人がおだてる。すると我らがYちゃんは調子に乗って「うん、K君(10コ下の友人)は№2もしくは№3ホストかな。んで、あなた(私の事)はさしずめ皿洗いだな。」と言う。

 

 「いや、100歩譲って皿洗いはいいけど・・・。ホストクラブってのはホストに会いに女性客が来るんだろ?俺たちのどこに行列ができるほどの集客力があるんだよ?」と私が混ぜ返す。

 

 「そう、そこなんだよ!ホストクラブYちゃんの客層はズバリ高学歴で高身長!」

 

 「それって、そのまんまYさんの趣味じゃないですか(笑)。」とK君が突っ込む。

 

 そう、高学歴で高身長はYの理想の女性像。当のYは悪びれもせずに

「日々の生活では満たされない彼女たちの知的好奇心を満たしてやるのが、俺たちの仕事!」と言う。

 

 「例えば?」と私が聞くと、Yは

 

 両手を組んで顎をのせて「『ふむふむ、そんなことがあったの。大変だったね。あのね、ソクラテスと言う人はこういっているよ。』と言う具合に、哲学だったらおれ、歴史だったら長谷川、そしてロシア文学だったらK君と言う風に担当を決めて、それぞれ接客するんだよ!それがクラブYちゃん。の運営方針。」とのたまう。

 

 「ちょっと待ってくださいよ!Yさんと長谷川さんはともかく、私、ロシア文学なんて知らないし(笑)。」とK君があわてる。続けてK君は

 

 「そもそも、哲学とか歴史とかロシア文学とか、そこまで需要あります?スナックのママさんで十分話足りるんじゃないですか?」と言う。私は

 

 「確かに。そう考えるとスナックのママさんて凄いよな!ママさんの魅力1つで客が向こうからやってくるものなぁ。」とそこで私は1つ気づいた。

 

 「つまり、こういう事じゃね?お客が求めているのは【具体的な事例】じゃなくて【抽象的な本質】なんだよ。具体的な事例の話になったら、そりゃ専門家にはかなわないよ。例えば相手がオタクなら、「『罪と罰』と言えば、新潮文庫版の上巻の127ページの描写!あれゾクゾクしますよね!」で話通じるかもしんない。でもさ、さっき言ったように、お客が求めるのは其処じゃなくて、それこそ美輪明宏みたいなママさんに「あなた、いくら自分が優秀だからって人殺していいの?あなたにも良心ってあるでしょ?」って言ってもらう事なんだよ。ああ、そう考えると客足の絶えないスナックのママさんってのは【具体的な事例】からその本質を抽出して【普遍的な法則】を見つけ出す。そういう事ができる人なんだろうな!そして一度、【普遍的な法則性】を見つけ出せばあとはどんな話にも応用が利く。そのためには人生の酸いも甘いも知り尽くした経験と、一定レベルの教養が必要なんだろなぁ。」

 

それを聞いていたYが

 

 「そう、さすが長谷川!俺の言いたかったこと全部言ってくれた。」と茶化す。K君が

 

 「スナックYちゃんてのもありじゃないですか?」と話をまとめた。

 

 帰りの車中でK君が「いや~今日も何のためにもならない話でしたね(笑)」と言う。でも、その何のためにもならない話が私にはありがたい。2人とも私が最近部屋にこもりきりで簿記の試験に向けて勉強をしている、が、いまいち集中できていない事をよく承知している。どうでもいい話と言うのは、まさにそのどうでもいい点にこそ価値があるのだ。ありがたい。

 

 おかげさまで、今日も有意義なひと時を過ごせた。持つべきものは良き友だ!

 

 Yちゃん、奥さんと2人のお嬢さん大事にしろよ!

 K君、マッチング頑張れよ!

 

 ではまた!

(312) 探究学舎 - YouTube

『驚きと感動の種をまく』

 

 

寿司

 ゴールデンウィークに家族4人で東北の宿に2泊3日の旅行をしてきた。帰り道に新潟の小出と言う土地で昼食をとることになった。

 Googleで検索したところ近くに★4つのすし屋があるので、そこで食べることにした。仕事で機会のある、もしくはあった父と兄は別として母と私は回らない寿司は本当に久方ぶりだった。私にいたってはそれこそ10年以上食べていない。正直心が踊った。

 

 お店にはランチメニューがあり、1350円でてんぷらと茶碗蒸しとデザートがついてその他に握りを5貫選べるというものだった。カウンターしか椅子の席がなかったので我々はカウンターに兄・父・母・私の順に腰を掛けた。父は通常メニューから上握りを、残りの3人は1350円のランチセットを頼んだ。その際、兄と私はめいめい好きなネタを5貫頼んで握ってもらったのだが、私の隣にいた母は握りでなく稲荷と巻物を頼んだ。隣にいた私が

「同じ値段だし、せっかっくだから好きなネタを選んで握ってもらったら?」

と言うと、母は

「これでいいよ。」と言う。私は当人がそれでいいなら、まあいいか。と思いそれ以上は何も言わなかった。

 

 頼んだものが出てくると母は

「それだけじゃ足りないだろうから。」

と言って、兄と私に自分の巻物を分けてくれた。

 

 食後、店を出た後で兄が

「なぜ、握りを頼まなかったんだよ!せっかく皆で寿司食べるのに!」

と怒ったように母に言う。母は

「あれが食べたかったんだよ。」

と答える。兄は

「あ~じゃあもういいよ。勝手にしてくれ!」

と運転席に乗り込む。

 

 私には兄の気持ちも母の気持ちもよくわかる。兄は母に美味しいものを食べてもらいたかったのだ。それなのに母が変な形で遠慮するものだから腹が立ったのだ。兄が腹を立てるのは母に対する愛情が深ければこそなのだ。自分の感情をストレートにあらわにする兄が私は半ば眩しくもあり、半ば心配でもある。

 

 母は母で、もういい年だというのに、我々兄弟が食べ足りないだろうから。と気を使ってくれたのだ。と同時にそこには贅沢ができない母の性分が現れていた。そのように母が質素に努めてくれたおかげで、その場にはいない妹を含め、我々3人を大学まで出してくれたのだ。節約が身にしみこんでいる母ならではの選択だったのかもしれない。

 

 そこに行くと父は賢明だ。家長である自分が一番豪華なものを食べないと、我々が変に気づかいをしてリラックスできない事がよくわかっている。ちなみにここの寿司のお代は父が払ってくれた。

 

 私はと言えば、食べたいものを食べ、お茶までお替りして、まあ、気楽なものだ。

 

 我々はごくごく普通の家族だが、そこにはごくごく普通な家族なりのドラマがある。ドラマがあって良かった。ドラマがあるという事が家族の証明だからだ。そこに何のドラマもなくなってしまっては、それは、単に個人の集まりになってしまう。

 

 そんなわけで、旅行に行けてよかった。

 

 お疲れ様でした。

 有難うございました。

寿司食いねえ!

 

ある日の喫茶店で

 今日、午前中に2人の友人から呼び出しがかかった。ヒマを持て余していた私は喜んで出かけた。1人は同い年で10年来の付き合い。もう1人は10歳年下の、こちらは今流行りのマッチングアプリで目下恋人募集中の友人だ。ラーメン屋で昼食をとった後、近くのGUとユニクロで買い物をし、その後、喫茶店に立ち寄った。

 

 10歳下の友人は近々マッチングアプリで知り合った女性と会う予定だという。その女性とどんな話をしたらいいか?何か面白い話はないかと、我々2人の冴えない中年に尋ねた。友人は

 「まあ、時事ネタでいいんじゃないの?この人みたいに海戦ネタは駄目だよ。サラミスの海戦とかレパントの海戦とか。絶対次はないから(笑)。」

と世界史を専門とする私をおちょくる。私は私で、先日TSUTAYAから借りて来た『弘兼憲史 ヒューマニズム短編集①』をバックから取り出し、

 「これ読んどけばばっちりだよ!」

と笑顔で差し出した。恋人募集中の友人は

 「ほんとに使えないオッサン2人ですね。」

と苦笑いする。我々2人は

 「まあでも、自然体でいいんじゃないの?そうそう大谷翔平の話でもしとけばいいんだよ。大谷翔平カッコイイよねとか、大谷翔平凄いよねとか。」

 「そうそう、で最後は大谷翔平と俺とどっちがいいって聞いてみ?絶対、大谷翔平って答えるから(笑)(笑)(笑)。」

と畳みかける。さすがに10歳下の友人が哀れになった私は

 「でも、まじめな話、何か気の利いた話なんて背伸びすることはないと思う。それより相手の話を聞いてやればいいんだよ。あなたに興味がありますって事が伝わればそれでいいんだよ。」

と常識的なことを述べた。10歳下の友人は

 「でも、それじゃ間が持たないというか・・・。お互いに相手に質問してそれで答えてすぐ終わってしまうというか・・・。なんか盛り上がりに欠けるんですよ。」

と言う。そこで私は

 「盛り上がりか・・・。軽い笑いがあればね。だとしたらものボケなんかいいかもな。」とアイスコーヒーのグラスに入っていたストローを取り出して首元に持っていき

 「ねえねえ、今日のどうかな?」

と、ネクタイを締める真似をしてみた。10歳下の友人はクスリと笑って言った。

 「ああ、まあそれなら。」

すると、同じ年の友人がテーブルの上の透明グラスに入ったミルクと黒いシロップを見比べて

 「赤と白。君ならどっち?」

と、聞いてきた。10歳下の友人は一瞬あっけにとられたが、私が

 「やっぱ肉料理には、赤だろ!赤」

と黒いシロップを手に取って助太刀すると

 「あ~なるほど!ワインですね。」

と合点がいったようだ。

 

 と、まあこんな風に我々3人はとても有意義な?時間を過ごした。10歳下の友人を弁護?するわけでも、ヨイショ?するわけでもないが、いわゆるルックス的にも、ちょっといやらしい話だが年収的にも、これまた品のない言い方だが、女性から見たら【いい買い物】だと思うのだけどなぁ。まあ、若干あか抜けないところが無きにしもあらずではあるが・・・。

 でも、彼の真価はルックスとか年収とかそんなところにあるのではない。彼自身は決して自分から口にはしない事だが、前の会社の食堂で私が独りポツンと食べていたところ周りの目なんかこれっぽっちもお構いなしで

 「長谷川さん、どうですか?」

と向かいに座ってくれたのだ。その事を私は決して忘れないし、我々の友人付き合いが始まったのもそれからなのだ。

 「だから何?」

などと聞いてくる女性などこちらから願い下げだ。

 そんなわけで、Kくん、マッチングアプリ頑張れよ!骨はいつでも拾ってやるぞ(笑)!

二杯目は半額です!

 

感動したこと

 今日感動したことを1つ。

 サッカーの高校年代の最高峰リーグである高円宮賜杯プレミアリーグを観戦してきた。まだ育成年代の選手たちの事なのでチーム名は伏せておくが、その試合を見ていて感動したことがあった。ここに記しておきたい。

 私のひいきにしているチームはいつも巧みにパスをつないでディフェンスの網を崩しゴールに結びつける。そこが好きでそのチームをひいきにしているのだが、1つだけ残念に思う事があった。綺麗に崩すことを重んじるあまり、遠目からシュートすることが極端に少なかったのだ。

 「遠目からのシュートがあると思えばゴール前に張り付いたディフェンスを引きはがすこともできる。こぼれ球がチャンスにつながることもある。もっと遠めからでも積極的に狙えばいいのに。チームの方針なのかな?」

 とそんなことをずっと考えていたのだが、今日、おそらく1年生と思われる選手が、遠目から矢のようなシュートを放った。私は「そうだそれでいい!」と思わずうなった。そのシュートは惜しくもゴールわきにそれたが、それを見た、こちらは3年生の選手が両手をあげてシュートを放った下級生に拍手をしていた。その光景を見て私は思わず鳥肌が立った。下手の横好きである私が考えるくらいだから、同じように「もっと遠めから打とう!」と感じていた選手はいたのだろう。それをやってのけた自分より年下の選手をあのように祝福できる。立派だなあ、偉いなあと思った。

 別の予定があって前半戦だけ見て帰ってきたが、前半だけでもう1本遠目からの鋭いシュートがあった。

 「ああ、もしかすると、こうしてチームって成熟していくのかもしれない。今年はいいチームになりそうだなあ。」

 そう思いながら帰途に就いた。

 選手の皆さん、お疲れ様でした。有難うございました。

頑張れ!!!