どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

ジャンケン

 誰が考え出したか知らないがジャンケンとは非常に優れたシステムだ。

A>B>C>A(くり返し)

と力関係が円環している。どの記号が最も強くて、どの記号が最も弱いという関係にはない。これに対して我々の社会一般では異なる。

A>B>C>D>E・・・・・・・・・・・・>X>Y>Z

という風に力関係が一方通行の直線型だ。つまり最弱は最弱だし、最強は最強だ。最弱が最強に勝つには1つずつ勝ち上がっていくしかない。こういうシステムってある意味不健全だと思うのは私だけだろうか?これがもし

A>B>C>D>E・・・・・・・・・>X>Y>Z>A>B>C>(くり返し)

だったら面白い。世界最強(何をもって最強とするかは難しいところだが、とりあえず国全体の経済力にするなら)アメリカの大統領が「いやー、なんぼ言うても、コモロさんの言う事にゃかないませんわ!」とか言って、コモロの言う事には絶対服従。(コモロとはインド洋のコモロ諸島のグランドコモロ島、アンジュアン島、モヘリ島で構成される国家。他にも最貧国で検索した結果いくつかの国が出てきたのですが、コモロという国名が最も日本人である私にとって親しみやすいものだったので取り上げさせていただきました。コモロの皆様ごめんなさい。)だったらなんか救われた気分になる。そのコモロもアジアの最貧国であるバングラデシュには頭が上がらない。そんな風に力関係が円環していたら、なんだか平和で面白みのある世の中になるのでは・・・とふと思った。もっと卑近な例でいったら、家庭内で絶対的な権力を握っているお母さんが、ペットのネコのたまだけにはデレデレだったら・・・。直線的力関係と円環的力関係(西洋哲学?と東洋哲学?)あなたはどちらが好みですか?何にしろジャンケンってすごいなと思った今日この頃でした。

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コモロの位置です!

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こんなきれいなビーチもあるらしいです。

 

どうでも「いいね」と本当の「いいね」

 以前NHKの「漫勉」である漫画家の先生がおっしゃっていた。自分は登場人物が「葛藤」する場面にこそ心惹かれると。主人公が自分の属する組織に潜むスパイの暗殺を上から命じられる。主人公は暗殺の機会をうかがいながらそのスパイと日々を共にする。そのうちにスパイとの間に友情が芽生えてしまう。彼の境遇や信条も解り、誰よりも彼が大事な友人になってゆく。でも組織の命令は絶対だ。彼を殺さねばならない。組織の掟と友情の間で主人公は苦悩する。その「葛藤」する主人公に自分自身を重ね合わせ夜中うなされたことがあるそうだ。そういう作品にこそ、その先生は心惹かれるとおっしゃっていた。
 さて話は卑近ながら私の文章に移る。私はこれまで130余りのエッセイをこのブログに残してきた。1つ解ったことがある。先に述べた、「葛藤」するような文章、人間の本質に迫る文章、鬼気迫る文章には押しなべて「いいね」が少ない。それに対し、前回載せた「叱る」の様な誰にとってもごく当たり前で前向きな文章には「いいね」や「シェア」が多くなる。では、私自身が考える「葛藤」するような文章、人間の本質に迫るような文章が読者から読まれなかったかというと、そんなことはない。むしろその逆だ。「いいね」はされなくともアクセス数は多い。逆に万人受けする当然のことを前向きに述べた文章は「いいね」の数は多くてもアクセス数が伸びない。面白いことに気づいた。読者の多くは私が真に迫ると思って書いた文章には「いいね」はしなくとも確かに読んでくれている。こちらが面白いと思う文章にはアクセス数という形で確かに反応がある。嬉しい限りだ。それと同時に「いいね」って何だろうと思ってしまう。ゆるやかな当たり障りのない肯定感情であってそれ以上でもそれ以下でもない。確かに自身の立場や信条を明確に表現することはリスクが伴う。それを避けての「いいね」文化なのだろうとは思う。でもそれって《どうでも「いいね」》に過ぎないのではないだろうか?「いいね」とは我々を取り巻く「ゆるやかな肯定感情」であり、これがSNSに代表される時代性なのかなとも思う。さて時代遅れ、もしくは(偉そうにも言わせていただくなら)時代を超越したいと思う私にとっては「どうでもいいね」は要らないから「本当のいいね」が欲しいと思う今日この頃だ。で、思うのだが、この文章『どうでも「いいね」と本当の「いいね」』に「いいね」して下さるような読者をこそ私は大切にしていかねばならない。この文章に「いいね」して下さる方「本当に有難う」これからも読んでやってくださいm(__)m


ニセモノなんか興味はないわ
ホンモノだけを見つけたい
LOVE2000(作詞 hitomi 作曲 鎌田正人 唱 hitomi

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叱る

 叱るのが下手だ。叱るどころかどうも私は児童・生徒になめられてしまうきらいがある。高教師時代はそれでも、授業で専門教科を頑張ってこれでどうだ!と、博識なところ?を見せると生徒たちは言う事を聞いた。それでも着任1年目はてこずったものだ。それが現在の学童では慣れない業務の上、まだ勤めて日も浅い。児童になめられてしまうのも致し方無いのかもしれない。まあ自分ではそれはそれでいいのではないかとも思っている。少し舐められているくらいの方が、児童も素の自分を出してくれる。距離が近い。あまりになめられまいと肩肘張ると児童は遠のいていってしまう。この辺の距離感が難しい。児童が恐れて近づいてこないようでもなんだし、かといって児童から好かれ過ぎて友達感覚でなめられてしまうのも問題だ。ある年配の、もう現役を退かれて今はパートとして勤めておられる女性の先生がこの辺の塩梅が凄くうまい。いつもは児童からすごく慕われているのだが、叱る時は非常に上手に叱る。伝えるべきことはきちんと伝えて、それでいて児童を委縮させない。包み込むような優しさがある。ある時その秘訣を聞いてみた。すると「そうね、経験もあるでしょうね。でも私も自分の子供にはうまく叱れなかったのよ。感情的になっちゃうからね。」との事。という事は叱る時は感情的になってはいけないのだ。叱るのに感情が付随すると怒るになるのだろう?叱るのと怒るのは確かに違う。怒るのは感情的な行為で、叱るのは理性的で叱られる側に対して、どこかに逃げ道をつくっといてやるような気がする。そして見失いがちなのが、叱る人の集団内でのポジショニングだ。この人が叱ってもだめだけど、あの人が叱ったら言う事を聞くというのはよくある話だ。そういった事も含めて、その年配の先生は非常に叱るのが上手だ。どこかユーモアすら感じさせる叱り方だ。いつかあんな風に上手に叱れるようになりたい。その為にもまずは日々の業務を滞りなく行えるようにならなければ。

 

答えは無いの

誰かの所為にしたい 

ちゃんと教育して叱ってくれ

 

群青日和 歌手 東京事変 作詞 椎名林檎 作曲 H是都M)

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性善説と性悪説

 人に対するに(特に初対面では)性善説をとるか性悪説をとるかは難しい。殊に教育の場面においてのそれは私にとって永遠のテーマだ。バイトも含めると塾講師、高校教師、現在の学童保育と教育に携わる3種類の仕事をしてきた。性善説をとって失敗したことも、逆に反動で性悪説をとって失敗したこともある。今、簡単に失敗と述べたが、何をもって成功、何をもって失敗とするかは判断に悩むところだ。クラス全体の運営にとってプラスになれば成功、マイナスであれば失敗というのであれば、それはともすれば全体の為には少数の犠牲はやむを得ないという発想につながり、中世の魔女狩りと変わるところがなくなってしまう。ただし、児童相談所臨床心理士や相談員ならともかく、教師や学童支援員はクラス全体の安全で円滑な運営が最重要任務である。一人一人を救う事が叶わないのも、いたし方ない事実だ。教育者たるもの性善説でもって子供に対し、裏切られるのが当たり前、騙されて裏切られてなんぼだという昭和的発想のもとに日々の業務にあたっていたのでは、とてもではないが支障をきたす。他の児童・保護者に迷惑が掛かってしまう。と、頭ではわかっていてもなかなか実行に移せないのが私の悪いところだ。1つには私自身に以下のような経験がある。幼稚園の時にトイレに並んでいて1つ年少の園児が「早くしろよ」と言ったのに対し「勝手なこと言うな、仕方ないだろ!」と私が答えたのがきっかけで喧嘩になった。結果私が鼻血を出す始末になったのだが、その際、中年の女性教諭はろくに事情を確かめもせずに皆の前で私を非難した。「今日は年長なのに喧嘩した漣君が悪かったね。」と。関係あるのかないのかわからないが、相手の園児は県会議員の息子だった。もっともその子とは小学生に上がって一緒のサッカークラブに入るとすぐに仲良くなったのだが・・・。とにかく少数者・弱者の権利擁護という立場に私は立ちがちだ。よく言えば弱いものの味方だし、悪くいえば全体を円滑に運営しようとする力、つまり権力にたてつきがちだ。悪い癖だと思う。悪い癖と、これまた頭ではわかっていてもなかなか変えられない。これが私自身の性か・・・。話を戻すと、どうも私は昭和的発想などと口では馬鹿にしながらも、性善説に偏り気味だという事。そのことを頭の片隅において日々の業務に臨みたい。また、性善説に偏り気味な私を現在の同僚は必要とあらば、中庸に引き戻してくれる。手前勝手ではあるがチームの強さってそういうものだと思う。有難い。逆に誰かが反対の方向に偏りがちであるならば私がこちら側に引っ張ってやれれば・・・と思うのは少なくとも今のところ、おこがましい限りである。・・・。

 

性善説性悪説については金岡新先生の世界史講義録をご覧ください。

timeway.vivian.jp

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孟子サイコー!(笑)真面目な話、大切な思想だと思います。

 

青森山田

 格闘技でも将棋でもオセロでもそうだが、玄人同士、若しくは達人同士の戦いでは先に隙を見せた方が負けだ。相手はその隙をついてくる。如何にミスをしないか、隙を作らないかが勝敗の決め手となる。したがって試合自体は見ていて派手さのない、悪い言い方をすると地味なものになる。これを高校サッカーという舞台で現実に行うチームがある。そう青森山田だ。前回の選手権の覇者であり、Jの下部組織も含めた高校年代の王者でもある青森山田のサッカーは華麗なパス回しや、変幻自在のドリブルと言ったいわゆる派手さはない。どちらかというとフィジカルにものを言わせた縦ポンの前近代的サッカーで観ていてつまらない。ちょっと前までは私もそう思っていた。でもそれは大きな間違いだった。あるサッカーフリークの知人が教えてくれたのだが青森山田プレミアリーグ等のリーグ戦では面白いサッカーを見せてくれるとの事。負けたら終わりの選手権では戦い方を変えてくるとの事。そういう目で今回の選手権を見て見ると彼らの真骨頂が解ってくる。今日1月12日の準決勝・帝京長岡戦の1点目の採り方などを見ていると彼らは非常に高い技術・パスセンスを持っている。また、ディフェンスもカバーリングが徹底されていて非常に組織的だ。そう、青森山田は華麗なポゼッションサッカーをやろうと思えば十分にできるのだ。その技術も連動性も十分に持ち合わせている。ただ敢えてそれをやりはしない。相手チームにポゼッションさせておいて言い方は良くないが「隙」を待つのだ。そして相手が「隙」を見せようものなら一気に牙をむいてゴールを狙いに来る。シュートの本数に対するゴールの決定率は非常に高い。その意味で彼らのサッカーは玄人好みと言えるのかもしれない。また、リスクを極力避けるサッカーともいえる。(もっとも実際に攻め込まれて苦しい場面なども多少あったが)技術・フィジカル・チームとしての連動性・そういったオールラウンドな力を高いレベルで持ち合わせているからこそ、あのような戦い方ができるのだ。なるほど王者の戦い方ってこういうものかと感嘆した。ただそれと同時に贅沢な期待を抱いてしまう。彼らが勝敗二の次で果敢にリスクをとるサッカーをするのを見て見たいと。ここまで思いを馳せるとサッカーは哲学の領域に文字通り足を踏み入れる。つまり、勝敗が先か、美学が先か、という。なるほど「美しく勝て」と言ったヨハン・クライフは確かに偉大だった。

 さて明日の第98回高校サッカー選手権決勝・青森山田対VS.静岡学園が楽しみだ。

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ギニュー特戦隊

 

猫のススメ

 会社の上司にジョークを飛ばせる新入社員はちょっくらいない。新入社員同士なら話は別だが・・・。逆に、上司が平社員に向かってジョークを飛ばすのは何ら問題ない行為だ。何が言いたいかというと、ジョークは自分と同等か、下位に属するものに対して緊張を緩和するという意味で有効だが、自分より上位の他者に対しては失礼にあたるし、リスクを伴うという事だ。ジョークを言うものと言われるものとの、これが関係性だ。(無論、例外もあるだろうが)
 そのように考えると一つ疑問が残る。組織の最上位に君臨する存在にジョークを飛ばすのは誰かという事だ。一番偉い人を相手にちょっくらジョークなぞ言えたものではない。どうしたものか?
 この問題に一つの答えを示してくれるのが「シェイクスピア」の諸作品にみられる『道化師』の存在だ。彼らは王侯や貴族に召し抱えられ、おおむね言論の自由を保障されている。権力者や時には自分を召し抱える主人をコケにしたり、政治を風刺したりと結構やりたい放題である。何故、時の権力者(王や貴族・領主)はこれら道化師を敢えて召し抱えたのか?簡単に推測できるのは単純に組織の最上位に立つものとして孤独であったのだろうし、絶対的な権力をもった自身を相対化してくれる誰かを必要としたのかもしれない。
 西のシェイクスピアに対して、東洋の大国、中国では宋の時代に次のような石碑が建てられている。「言論を理由に役人を死罪にしては決してならない。」
 どちらも権力者とそれを制中する者との関係性を表している。
さて、権力には程遠い一般庶民にも同じようなことをなす人物?がいる。
『猫』である。
極々ありきたりな家庭内の権力構造に対して、自由気ままな『猫』の存在はそれを自浄する作用を持っているのでは?と、私などは思うのである。現在のネコブームの理由の一端はひょっとするとその辺りにあるのかもしれない。家庭内に硬直した人間関係が存在すると思われる方々、是非、猫を飼ってみては如何?

 

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筆者はプチ猫ブームです!

この文章は、一昨年にしたため、お蔵入りになっていたものです。

舌打ち

今日も君は舌打ちした。

ハセッチの帰り際に舌打ちした。

昨日はハセッチの勘違いかなと思ったけど、

今日は解った。

その舌打ちは

「なんだよ、もう帰っちゃうのかよ?」

という意味だ。

ハセッチは申し訳ないような、嬉しいような気持になって

「K君またね!」

と言った。

すると君はほっとしたような納得したような顔で

「うん」

と言った。

何だかハセッチは心が温かくなった。

ハセッチは自分が小学生の頃を思い出した。

仲良くなるのは少しずつ少しずつなんだね。

ゆっくりいこう。

「またねK君!」

 

PS.ハセッチを超えて行け!

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あなたはネコ派それとも・・・?