どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

いつも職場にユーモアを!

 先日から職場(学童)の敷地内でちょっとした工事が始まった。工事の車が出入りするので、子供達はそこを避けて大きく迂回して学童に帰ってくることになった。良く事情を知らないうちは、まあ一週間もあれば終わるだろうと思っていたのだが、実際には全部の工程が終わるまでに年度内いっぱいくらいはかかるそうだ。会議中にその話を聞いて私は

「じゃあ、いっそのこと地下道でも掘ったらどうですか?」

と、心の中で諧謔を飛ばした。続けて

「あ、それともどこでもドア買っちゃうとか?」

「どこに売ってんだよ?」

ヤマダ電機に売ってんじゃね?」

「あれって家電製品だったのか?」

と、一人三役をこなした後、会議の流れについていけなくなりそうなので止めた。とてもじゃないがこんな事声に出しては言えない。ジョークやユーモアが歓迎される雰囲気ではないし、時間の問題だってある。女性の先生方は帰宅しても家庭の仕事が待っている。気楽な私とは立場が違うのだ。

 

 そういえば以前勤めていた予備校での会議を思い出した。その時は、生徒の精神を鍛えるためにどうするべきか?と言う議題だった。職員のほとんどが、登校したら15分の単語練習を規則化するとか、単語テストの結果をちくいち張り出すといった意見を述べていた。その中で、ある同僚(現在に続く友人)が「一週間無人島で自給自足の生活をさせたらどうか?」と述べた。私はもろ手を挙げて賛成した。一週間無人島で自給自足生活を送る中で、勉強のできるありがたみを知るべきだと思ったのだ!半ばジョークで、半ば本気の提案だったが、速攻でその案は却下された。例え、現実には無理だとしても、こう言うところからブレイクスルーって始まるんじゃないのか?と思ったがもちろん口には出さなかった。

 

 そんなことを考えていたら、学生時代の研究室の事を思い出した。会議中だろうが何だろうが、そこにはいつもジョークとユーモアがあった。今にして思うとあれはいい時代だった。お金こそなかったが其処には時間と心の自由があった。今はお金をもらう代わりに、時間と心の自由を失っている。いや、それとも仕事とユーモアの共存は可能なのだろうか?可能だと思いたい。ただ、可能だとしても、それは日々の業務を難なくこなせるようになってからの話だ。自分の仕事で精一杯の私にどうこう出来る問題ではない。だからこそ、日々の業務をスムーズにこなせなければ・・・。と、そんなことを考えながら今日もキーボードを叩いている。

 

 さて、この文章をお読みの皆さん、皆さんの職場にはユーモアがありますか?なくても何とかなりますが、あった方がより良いですよね!

ではまた!

1200万で買えるそうです!