どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

いとうあさこさんに見る「美」

 ちょっと昔のNHKあさイチ森三中の黒沢さんが、いとうあさこさんについて語っていた。記憶が定かではないのでネットを探してみたのだが、それらしいページは見つからなかった。だからもし、私の勘違いや、思い込みだったらご容赦願いたい。

 

 私の記憶では黒沢さん曰く、「以前いとうあさこさんと『無人島で女性10~15人くらいがサバイバル生活をする』という他局の企画番組に出演した事があった。で、実際に無人島で皆がレクチャーを受けている時に誰かがおならした。そしたらいとうあさこさんが「ごめん、わたし、わたし~(笑)」と自ら(自分ではないのに)名乗り出た。」との事。

 

 それを聞いた時「いとうあさこさん立派だなぁ~。」と感心したのを憶えている。誰だって自分のおならは隠したい。女性ならなおさらのことだろう。でもそこで、周囲がギスギスしないよう自ら臭い役を買って出るあたり、器の大きな女性だなぁ~と思ったのだ。

 

 聞けばいとうさんのご実家はとても教育熱心だったとか。それが関係しているのか?いないのか?は解らない。でもこれだって立派な“自己犠牲”だ。ただ、私自身はあまり“自己犠牲”と言う言葉は好きではない。だから言い方を変えるが、十分に“自己を超える行為”だ。先にブログに書いた禍特対の神永新二(後のウルトラマン)の如く、自らの命をなげうって逃げ遅れた子供をかばうという程ではない。でも、これだって十分に“自己を超える行為だ”。そこには「美」がある。彼女が芸能界と言う荒波にもまれながらも、しっかりと生き残っているのは、その辺が関係しているのかもしれない。芸やネタで一時的に売れたとしても、そこから先はいとうあさこというパーソナリティーで勝負するのが芸能界なのだろう。そこで結果を残せているというのはそれなりの理由があるのだ。

 

 私も文章で身を立てよう。と言うわけではないが、今後も文章を綴ってゆくなら、最終的には私のパーソナリティーと言うか人生に対するアティチュード(態度)と言うか、生き方そのものが問われてくるのだろう。何も「美しく生きよう」とは思わない。でも、いとうさんではないが、「ごめん、今のおならオレ、オレ(笑)!」と言う事くらいできなけりゃなと思った次第だ。

 

 そんなわけで、“自己犠牲”とはいかないまでも、各人がほんのチョッピリそれまでの自分を越えて行ける様なら、社会は、世界はよりましなものになると思う。皆さんはどうでしょう?自分超えられますか?

「美」はルックスばかりではありません!