どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

身近な「美」

 先日、友人とファミレスでだらだらとしていて、文学賞の話題になった。

Q:芥川賞直木賞。いったい何が違うの?

A:芥川賞は純文学に、直木賞は大衆文学にそれぞれ与えられる賞。

Q:では、純文学と大衆文学ってどこが違うの?

A:純文学とは純粋な芸術性を目的として創作される文芸作品。

Q:では、芸術って何?

A:美を創作表現する活動。また、その作品。

 

と、スマホの力を借りながら何とかたどり着いた。では、最後に「美」ってなんだ?と、ここまで来て肝心のスマホも抽象的な答えしか返さない。我々は行き詰ってしまった。

 

 帰りの車中で、私は自らに問うた。まず、「美」とは何かと。次に、はたして俺の書く文章に「美」はあるかと。私の書く文章はどう見ても「大衆娯楽エッセイ」ではない。である以上、これを「純文学エッセイ」にまで高めねば、時代を超越する作品になどなりっこない。その為には「美」が不可欠だ。あ~どっかに「美」がころがってね~かな~。と思っていたら、意外に身近なところに「美」はあった。

 

 私の職場(学童)では、学童から各種習い事に行く児童の為に「習い事表」なるものがある。誰それが何時にスイミングに出発。などの情報が表にして掲示してあるのだ。その表をエクセルで作成するのが私の役割だ。習い事を新たに始めたり、途中で止めたりする児童がいるので、その都度、時機を見て作り変えねばならない。今日、その表に新たな修正を加えた写しを、ある女性の先生が用意してくれた。正直、その先生とは馬が合わない事が多い。無論あちらもそう思っている事だろう。でも、それとは別に誰かが(私が)やらねばならない仕事をその先生は率先してやってくださった。これは十分に「美」に値する。後は表にするだけなので、私がまず、その女性の先生にお礼を言わねばならなかった。ところがタダでさえ忘れっぽい私は、これまた自分の事で精一杯で、その女性の先生にひと言お礼を言うのを失念してしまった。そうしたら、どうやら別の男性の先生が私の代わりに、その女性の先生にきちんとお礼をして下さっていたらしい。後になってその事に気づいた私はその男性の先生に、帰宅後「有難うございました。」とメールした。そしたらその男性の先生は「気にしなくていいですよ。」との事。これもまた十分に「美」に値する。さて、これで明日、私が女性の先生にお礼すれば「美」が三つになるのだが・・・。

 

 何にせよ、意外に身近に「美」はころがっているものなのだ。それにきちんと気づけるようになると、日々は少しずつ心地よいものになっていくのだろう。身近な「美」を大切にしないといけない。そう思った。

 

 さて、皆さんは身近な「美」感じていますか?身近過ぎて気づかない「美」もある事でしょう。でもそれに気づけるかどうかはとても大切なことだと思います。自戒までに。ではまた!

賞、欲しいですよね!