どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

星に祈りを

 先日、仕事終わりに職場の駐車場で流れ星を見た。とっさに「世界が平和でありますように。」と頭に浮かんだ。すぐに後悔した。もっと他にいくらでもやりようはあった。宝くじで1億円当たりますようにとか。不労所得で年収1000万いきますようにとか・・・。馬鹿なことをしたものだ。

 多くの人がそうだと思うが、私にも悩みはある。でもその悩みのほとんどは宝くじ1億円当たったらきれいさっぱり解消してしまう類のものだ。安い男だ。(笑)その安い男が何故“世界平和”を想ったのか?その辺りに何か「私」を含め「人間」という生き物を紐解くカギがあるように思える。

 

 「星に願いを」という楽曲がある。ふと、あれって「星に祈りを」じゃダメなんだろうかと思って「願いと祈りの違い」で検索してみた。すると

 

「願い」は個人的な事柄が中心で「こうなってほしい」という願望。

「祈り」は今このときに感謝しそれを全体的に分かち合う気持ちがある、という宣言のようなものかもしれません。

 

と出てきた。なるほど。「願い」と「祈り」か・・・。

 

 話は変わるが『機動戦士ガンダム』の原作者である富野由悠季さんの凄いところは「それでも人は解り合えるんだ」の“それでも”に集約されると知人が言っていた。私は富野由悠季さんの原作を読んだことがないので詳しくは解らない。あえて要約させていただくと、宇宙に進出した人類はそれまで眠っていた第六感のようなものを覚醒させる。『ガンダム』で言うところの“ニュータイプ”という概念だ。そのニュータイプに社会がどのような“使い道”を見出したか?一言で言うと“兵器”だ。物語中では“人造ニュータイプ”であるところの“強化人間”も現れ、覚醒したもの同士が兵器として利用される様が描かれている。結局人類は殺し合いの中でしか自己を確認できないのか?戦争の中でその矛盾にもがき葛藤する主人公が叫ぶ「それでも・・・。」という文脈にすべてが集約されている。そう知人は言うのだ。富野由悠季さんは戦争を知っている最後の世代だ。彼の「それでも」という言葉には重みがある。彼の言う「それでも」は「祈り」なのだと思う。これは私の個人的解釈なのだが、信じたい事が「願い」で信ずべき事が「祈り」なのではないだろうか?きっと富野由悠季さんの作品には彼の「祈り」が込められているのだろうと思う。

 

 さて、話しは戻るが、先の例で私は願ったのだろうか?それとも祈ったのだろうか? 自分でもよく解らないその辺に「人間」と言うモノの面白さが潜んでいるようにも思えるのだ。

 あ~宝くじ一億円当たれ!(笑)

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時間のある時に読んでみたい小説です。