どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

スケープゴート

 さあ、ボーイズ&ガールズ、歴史の授業の時間だよ!

 今日はイエス・キリストについて講義するよ!

「知ってる!キリスト教のキリストでしょ?」

 そうそう。

「右の頬を殴られたら左の頬も差し出せって言った人でしょ!」

 そう、それも有名だね。その話も出てくるよ!

 

 そもそもこのイエスって人は今から2000年ほど昔に生きた人なんだ・・・。

 その頃イエスが生まれたパレスチナ地方で信じられていたのが「ユダヤ教」。

 この「ユダヤ教」、今でも信者がいるんだけど・・・どんな宗教か知ってる?

「知ってる。すごく規則がきびしい宗教でしょ。」

 その通り。例えばどんな宗教もそうだろうけど、ユダヤ教にはこんな戒律(ルール)がある。汝「盗むなかれ」「殺すなかれ」「姦淫するなかれ」。この戒律を破ると救われないとされていた。でも社会の中には泥棒しないと生きていけない人や、ちょっと難しい言葉だけど売春したりしないと生きていけない貧しい人たちもいるわけでしょ。一言で言うとイエスはそういう最も貧しい人々、戒律を破らなければ生きていけない人々こそ救われると説いたんだ。曰く

「戒律なんて気にしなくてよい。あなた方は救われる。」

 そう言い続けたのがイエスなんだ!

「イエスカッコいい!」

 うん、かっこいいね!

 このイエス自身はユダヤ教徒です。新しい宗教をつくろうと考えていたわけではない。戒律ばかりにこだわっている当時のユダヤ教を改めようと考えていたのだと思う。

エスの教えの特徴を説明しとくよ。

ユダヤ教の戒律の無視

②階級、貧富の差を超えた神の愛を説いた

 有名なイエスの言葉で「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るのより難しい。」と言うのがある。簡単に言うと金持ちは救われないと言ってる。では救われるのは?それは君たち貧乏人だよ!そうイエスは言っているわけ。

 

 それまでユダヤ教の神は厳しい怒りの神だった。アダムとイブが知恵の実を食べたら怒って楽園追放、ノア以外の人類は洪水で皆殺し、怒って罰を与える怖い神だね。

 この神の解釈を

 怒りの神から愛の神へと変えた。

 それがイエスなんだ。

 

 そして彼は

「神が我々を愛してくれるように、われわれも敵味方の分け隔てをやめよう」と説く。      

 ここでさっきの言葉が出てくる。

「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ。」

 汝の敵を愛せよってやつだね。

 

 ところが、このイエスが評判になると面白くないのが?

ユダヤ教のえらい人たちだ!」

 そうだね。それで何とかイエスの信用を落として、あわよくばイエスの落ち度をとらえて逮捕処刑しようとする。さまざまな罠をイエスに仕掛けるんだけど、イエスはこれを切り抜けていく。イエスの救世主としての評判が高くなると、ユダヤ教のえらい人たちとの対立は避けられないものになってゆく。最終的には彼らはイエスに対するデマも流して評判を落とそうとする。

 

 そうして最後の最後、イエスは弟子に裏切られてついに捕らえられて裁判にかけられてしまうんだ。

 

 結果どうなったかと言うと?

「はりつけになった。」

 そうだね、イエスの死後彼の弟子たちによってキリスト教がはじめられるんだけど・・・。

 

 と言うのが教科書で習う事だね。

 

 さて、ここからは先生自身の考え。英語で言うとプライベートオピニオン。聞きたい人?

「わ~い、すごく聞きたい(笑)」

 結論から言うと、民衆の多くはイエスがはりつけになってホッとしたんじゃないだろうか?

「???何で???」

「右の頬を打たれたら、左の頬も差し出せ。」なんて言うやつが現実にいたらみんなどう思う?私なんかはいたたまれなくなっちゃうね。だって私だったら1発殴られたら、せめて1.5発くらいは殴り返してやらないと気が済まないもの。小さい男だよ。そんな私にはイエスみたいな聖人が近くにいたら自分が惨めに思えて仕方ない。われわれパンピーにとってイエスの存在は自らの醜さを映し出す鏡になってしまうんじゃないかな?

 そんな鏡叩き壊してやりたい。それが当時の多くの人々がイエスに対して抱いた感情だったんじゃないかな?今だって変わらないと思うけど・・・。

「つまり、一般大衆の多くはイエスのはりつけを望んでいたっていう事?」

 そう言う事!まあ、私なんかはそう思うんだ。難しく言うとサイレントマジョリティーってやつね。まさにイエススケープゴート(犠牲のヤギ)だったんだね。

「でもそうすると普通の人(一般大衆)って身勝手ですね。だって、イエスの死を望みながら、死んだあとは宗教に祭り上げてしまうんだから。」

 うん、おもしろい事に気づいたね。そうなんだ!われわれパンピーって身勝手な生き物なんだ。でも、それがわれわれ一般大衆の唯一の特権かなとも思うんだよね。これまた身勝手な考えだけど・・・。

「でもさ、先生は“先生”って呼ばれているんだから単なるパンピーではないと思うよ。少なくとも俺らにとっては。」

 ムムム、いたいところを突かれた。盲点ってやつだね。確かに一理ある。先生は先生である以上パンピーたり得ないか・・・。難しい命題だ。

「じゃあそれは次の時までに考えといて下さい!」

 わかった。次回までの宿題にしよう!

 そんなわけで、イエスについて先生の個人的見解を含めて勉強しました。今日の授業はここまで。

 頭洗えよ!歯磨けよ!ではまた!

 

※(「世界史講義録」金岡新先生)を参照させていただきました。

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スケープゴート