どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

陰口が嫌いだ!

 陰口が嫌いだ!何故陰口が嫌いかって?そりゃ自分が言われたらつらいからだ。

 何処の組織でもそうだと思うが、共通の話題などなかなかないのが現実だ。すると当然、誰かしらの陰口になる。笑って済ませられる程度の陰口ならよい。でも、それでは済まないのが常だ。

 

 だからなるべく誰かの陰口には参加しないようにしている。そうすると必然的に孤独になる。孤独はそれだけでストレスになる。ストレスが溜まると、どこかしらに、そのはけ口ができる。つまり、なんでもない事、関係ない人にイラっとしてしまう。それは口に出さないでも人に伝わる。そうするとそれをもとに、また陰口の対象になってしまう。

 

 ただでさえ、陰口に参加しない事でその標的になりやすいというのに、これでは悪循環だ。

 

 陰口たたかれるのは仕事ができないからでしょ!という御意見もおありだろうが、それは違う。私が思うに、まず陰口の対象が先にありきで、その後付けの理由として仕事上のミス等をあげつらうのだ。つまり順序が逆だ。その証拠に同じミスでも、人次第で陰口になったりならなかったりする。つまりは感情論以外の何物でもない。

 

 だったら陰口に参加してしまえばよい。その場にいない誰かをコケにして自分の身の安泰を図ればよい。でも、それが私にはできない。どうしてもできない。それが私のこだわり、かっこよくいえば美学だ。1つには、そうする事は組織全体の為にならない。そう思うからだ。陰口ばかりの組織が居心地いいはずがない。陰口ばかり言っている自分を俯瞰する視点、それを失ってしまったら組織人としてお終いだ。そのぐらい私にも解る。

 

 逆に陰口を言う事を露ほども顧みない人もいる。例えばAさんの前ではBさんの事をあしざまに述べて、今度はBさんの前ではAさんの事をこっぴどく馬鹿にする。それでいて自分は一向に傷つかない。そういう人だ。これをコミュニケーション上手と言うなら、私などはとんでもないコミュニケーション下手だ。若しくは私はコミュニケーションという面ではある意味、幼稚な技術しか持ち合わせていないのかもしれない。   

 

 サラリーマン社会で分かったのだが、その意味でコミュニケーション上手な人が、どうやら出世するらしい。とすれば、私には出世など程遠い。一言で言ってしまうなら世渡りが下手なのだ。それが職を転々とした最大の理由でもある。(だから結婚できない。とは言わない。それは私個人に帰する問題だ(笑)。)

 

 組織の中に自分の居場所が欲しい。自分の居場所をつくりたい。でも同僚の陰口は言いたくない。これは二律背反な、つまり両立困難な命題なのだろうか・・・?

 

 そうは思わない。と言うか思いたくない。他にいくらでも方法はあるだろう!(例えばタモリ俱楽部について熱く語ったっていい。空耳アワーなど、あんなにどうでもよい事に一生懸命なのはそれなりの理由があるのだ!)

 

 さあ、この文章をお読みの皆さんはどう思いますか?

 

 陰口、言っていますか?言われていますか?

 

 陰口の無い世のだったらいいのにな~と思うのは私だけでしょうか?

 

 陰口のない(より少ない)組織、チームとはそんなに実現困難な事でしょうか?

 

 ご意見を頂ければ幸いです!

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陰口きらいです!