現在勤務している学童で私は長谷川先生と子供たちから呼ばれている。学校の教員ではないが、やはり指導者であることに変わりはない。
指導者として出来るだけ子供たちに優しく接しようと心がけている。でも優しいだけでは足りない場面もある。子供同士のトラブルはもちろんのこと、たとえ相手が日ごろお世話になっている方であっても「ならぬものはならぬ」と言う“強さ”が必要になる事が、確かにある。でないと子供たちにそっぽを向かれてしまう。優しいだけの指導者なんて、いざと言う時頼りないこと甚だしい!その点を子供たちはよ~く見ている。
さて、強さの裏付けには“力”が不可欠だ。すぐに思い浮かぶのが“武”力だが、それは最後の最後の手段。孫子も言っているように出来る事なら政治力・外交力で解決したい。
ところがこの2つが私は昔から下手だ。
政治力とは自分や相手の立場をうまく利用して巧みに物事を進めていく力。まだ自分のことで精いっぱいの私にそんな力はない。
外交力とは詰まる所コミュニケーション能力だ。そしてここで言うところのコミュニケーション能力とは、陰口と井戸端会議に他ならない。
どちらも私の超苦手とするところだ。
さてどうしたものか?
そこでと言うわけではないが、私がここ数年で磨きをかけた?のが発信力だ!ひとえにインターネットのおかげと言える。
この発信力は武力とはまた違った意味で強力だ!何故なら、政治力や外交力がその場だけの限定的なモノであるのに対して、発信力はその対象がそれこそ全世界に広がるからだ。無論管理者サイドが制限をかけなければの話だが・・・。
それだけに、この力を使うのは慎重にならなければならない。もし用いるなら時間的にも空間的にもピンポイントかつ有効にすべきだ。
そして私の発信力はそれなりに強烈であると自負している。
でも、何にせよ、“力”は使わないに越したことはない。それは“発信力”だって同じこと。
もし使うとすれば、この文章自体がそれこそ「こけおどし」でもいいから“抑止力”になれれば、それでいいのだ!
さて“力”について今回は考えてみました。もうすでに孫子が2000年以上昔に述べている事ですが“力”は使わない事にこそ意義があるのです!
そうです。平和って尊いものなのです!
皆さんの属する組織では“力”が正しく使われて、もしくは使われずに済んでいますか?
職場にしろ、学校にしろ、サークルにしろ
なるべく、優しくて正しい人のもとに“力”が集まる。そんな組織だといいですね!そして、そのような組織になれるか否かは組織のメンバー1人1人にかかっているのです。(自戒をこめて)
ではまた!