どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

意識・無意識・夢・シンクロ

 今しがた目が覚めてこの文章を書いている。午後11時を過ぎたところだ。目が覚める時とても良い気分だった。ふと、はてなブログのアクセス数を見て見ると、眠っていた時間帯に確かにアクセス数が1つ増えている。誰が読んでくれたのかは判らないが、その方が私の事を好意的に評価してくれたのかもしれない。それで夢の中で良い気分になっていたのかではないか?最近そんな風に思う事が良くある。眠っていて誰かの声が聞こえてくるのだ。以前にもこんなことがあった。ある推理小説を読み始めたばかりの時、その事を友人にメールで告げると(彼はその小説をすでに読んでいる)夢の中にその友人が出てきて犯人は~だよと教えてくれるのだ。その犯人に関してはまだ小説中でほとんど触れられていなかったにもかかわらずだ。フロイトだかユングだか忘れたが、人の無意識は繋がっているのかもしれない。それが「声」として聞こえてくるのではないか?空耳なんていうのも同じような気がする。

 

 人の意識・無意識は氷山のようなもので、水上に突き出た部分、つまり個々の意識はそれぞれ別の個体のように見えても、それらは水面下では繋がっている。眠るという行為を通じて我々はその繋がった水面下へと降りて行く事が出来るのではないか?それが「声」という形で聞こえてくる。もしくはそれを“シンクロ”と私は呼んでいるのだが・・・。 

 また、村上春樹さんが「井戸」に下りてゆくという表現で表そうとしているのもこの事なのではないだろうか?

 村上春樹さんにしろ、ユングだかフロイトだかにしろ、自身もこういう体験をしたことがあるのではないだろうか?そこから導き出された仮説なのではないだろうか・・・?

 

 そんな話を月に一度通院する精神科のドクターにした事がある。ドクターは「ふむふむ成程ね。」と聞いてくださった。その後ドクターは「どこまでが個別の意思で、どこからが共有意思かという問題が出てきますね。」とおっしゃった。「自由意志がどこまで本当に自由かという問題ですか?」と私が問い返すと「そうそう!その問題。」と答えられた。

 

 このテーマはSFなどで昔から論じられてきたものだ。萩尾望都さんの『バルバラ異界』でもそうだし、スタニスワフ・レムの『惑星ソラリス』でも扱っているし、我々の世代に親しみやすい題材としてはアニメ『エヴァンゲリオン』がある。『エヴァンゲリオン』の人類補完計画というのはまさに個々の意思から共有意思へと「人類が補完される」というものだろう。私の使う“シンクロ”という言葉も『エヴァンゲリオン』から拝借した。また、それこそ1000年以上昔の日本でも『源氏物語』に紫式部が「夢の中で相手を呪い殺してしまう女性」(名前は忘れたが・・・)を描いている。これなどは共有する意思なのか?はたまた個別の意思のなせる業なのか?人の意識を侵食するという表現が正しいのか?俄には解りづらい。

 

 色々と述べてきましたが 意識・無意識・夢・シンクロ このテーマについてもっともっと深く掘り下げてみたいと思うのです。こういったテーマについて扱った書籍や論文をご存知でしたら教えてください! よろしくお願いします。

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賛否両論あると思いますが、深いテーマを扱っている作品であることは事実です。

「長谷川漣の何処吹く風」もあわせてどうぞ。

長谷川 漣の何処吹く風 – 表現者の肖像 (gentosha-book.com)