どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

タバコ

 『ここは今から倫理です。』(雨瀬シオリ①~⑤)で主人公の高柳先生がタバコをおいしそうに吸うのを読んでいて、何だか無性にタバコを吸いたくなった。折しも兄が来ていたので一本もらって家の玄関を出たところで吸った。数年ぶりのタバコだった。職業柄タバコは控えていたのだが、久しぶりのそれは美味かった。翌日、お隣のご主人がいつもは会っても会釈するだけなのに、その日車で出勤しようとするとにっこりと笑顔で挨拶してくれた。また、帰宅すると今度はお向かいのご主人が、こちらもいつもは会釈するだけなのに「お帰りなさい!」と声をかけてくれた。どうやら玄関先でタバコを吸っていたのを見られたらしい。どちらの方も言外に「それでいい!」と言ってくださっているような気がした。何だかいい気分になった。それでこちらも気持ちよく「こんにちは」と挨拶を返した。

 人生には様々な局面がある。思うようにいかない事、理不尽な事、やるせない事。言葉にならない、もしくはできないそれらの想いをタバコが浄化してくれる。一筋の煙と共に。そう思うとタバコも捨てたものじゃない。ご近所のお二人もその事をご理解されておられたのだろう。むしろ「タバコの味が解るようになって、やっと一人前だ!おめでとう!」と思ってらっしゃったのかもしれない。

 そんなこともあって今日ローソンで、低温加熱式タバコ『プルームテック・プラス』を迷った末に購入した。今だけ1000円引きというのも購入を決意した大きな理由だ。マスカットミント・フレーバーを吸ってみると、何とも言えないいい気分になった。同時にこんなことを考えた。「人生には必要毒というものが在るのかもしれない。濁りすぎた水では魚が死んでしまう。でも、あまりに清すぎる、それこそ無菌状態の水でもやっぱり魚は死んでしまうのではないだろうか?」

 昔読んだマンガに『銃夢』(木城ゆきと)がある。このマンガでは究極のユートピアが描かれている。そこには一切の穢れのない世界。それこそ無菌状態の理想郷が存在する。そのユートピアの誇る究極の公衆衛生装置が「エンド・ジョイ」だ。この「エンド・ジョイ」とは一言で言うと「幸福感に包まれたまま自殺できる機械」だ。主人公のガリィはこの機械を四の五の言わずにぶっ壊す。うなずける場面だ。

 そんなわけで、今低温加熱式タバコを吸いながら、この文章を書いている。タバコが健康に良くないのは百も承知です。周りの方の迷惑になるのも良くない事です。でも、タバコ的な必要毒を極限まで減らして、その先に待ち受けるのが「エンド・ジョイ」的無菌状態な理想郷なのだとしたら・・・。そんな未来クソ食らえなのです!

 

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面白いです!

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中学の時読みました!

「長谷川漣の何処吹く風」もあわせてどうぞ。

長谷川 漣の何処吹く風 – 表現者の肖像 (gentosha-book.com)