どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

認める勇気

 中田敦彦さんのユーチューブ大学を毎度興味深く拝見させていただいている。シンガポールの首相を務めた故リークアンユーさんの回が面白かったのでここに感想を記したい。内容については興味のある方は是非ご覧になるのが良いと思う。大変興味深いものだった。シンガポールという建国当初は何の資源もない貧しい非常に小さな島国だった国がどのようにして、現在の様な先進的な都市国家へと発展したのか?その過程について述べられている。ここでは端折らせていただく。私が特に興味をひかれたのは最後に故リークアンユーさんが日本について述べた箇所だ。故リークアンユーさんの日本に対する評価は二転三転している。まずは太平洋戦争前、「日本人は礼儀正しく親切な国民だ」という評価。それが太平洋戦争中の3年間の占領期で「なんと日本人は残虐なのか」と言う評価にかわり、それが戦後の高度経済成長期にはその勤勉さに対して再び敬意を抱いたという。そして最後にリークアンユーさんはこう述べて締めくくっている。「日本人のトップ(歴代の総理大臣たち)と会談するたびに彼らの履歴書を見てきたが誰一人として戦争に対する謝罪を公に記したものはいない。皆その3~4年が空白になっている。居たとすれば政権交代した時の細川護熙さんくらいだ。ドイツと日本の決定的な違いはまさに其処だ。ドイツが自らの戦争責任を明らかにしてはっきりと謝罪しているのに対し、日本はその辺りをうやむやにしている。日本がそれを明確に謝罪しない限り、我々は再びあのような事が起こるのではないかとおびえながら生き続けねばならない。謝罪とはもう2度とそのようなことをしないという明確なメッセージになるのだ」と。これはリークアンユーさんの回顧録中田敦彦さんと言うフィルターを通しての私の感想だ。だから一言一句とは言えないが、その発言の要旨は概ね正しいものだと思う。この言葉を聞いて私が初めに思ったのは「やはり日本人は皆と一緒が好きなのだろうか?」という事。平時には礼儀正しく親切な国民性が、戦時下には豹変してしまう。その背景には「皆がやっているのだから・・・。」と言う認識があるような気がしてならない。言い方は悪いが「赤信号みんなで渡ればなんとか」と同じ心理が働いているのではないだろうかと思ってしまう。良くも悪くもこのあたりが島国としての国民性なのだろうか?それとも私の見解は粗雑なものなのだろうか?皆さんはどう思われますか?

 次に戦争責任に対するドイツとのスタンスの違い。ドイツのように自らの過ちを認め、それを明確に謝罪する事。それ自体がもう同じ過ちは繰り返さないという確固たる意思表示になる。その通りだと思う。日本人は東南アジアに対する戦争責任について明確に謝罪しようとしない。それは戦争にかかわった人達一人一人が、心の中で深く深く謝罪していたとしても、実際には口に出すのが憚られるような事があったからかもしれない。その意味で自分の過ちを認め謝罪するにはそれなりの勇気が必要だ。でも、だとしてもやはり謝罪しないわけにはいかないと思う。それはリークアンユーさんの「おびえながら生きねばならない」という発言からも明白だ。繰り返すが自らの過ちを認める勇気が必要なのだ。私事になるが私にも20年ほど昔、私がまだ二十三か四の頃、人として道を踏み外しかけた一時期があった。ずいぶん反省もしたし、そのせいで精神を病んだりもした。ただ、関係した方々に対して明確に謝罪したことはなかったと思う。ですので、この場と言うか私にとってそれが可能な場はここしかないのでこの場で明確に謝罪したいと思います。関係した皆さま大変なご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ありませんでした。ここに謝罪させていただきます。

 さて、何事もそうだが、区切りと言うものは必要だ。この文章が私にとっての一つの区切りになる。ひるがえって、この国が区切りをつけるのはいつになるのだろうか?遅すぎないよう望むばかりである。

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是非、実際に読んでみたいです。