どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

思考回路

 頭の良い人、仕事のできる人というのは必要十分に考える人だと思う。必要以上に考えれば好いというものではない。

 昔、村上春樹さんが「僕のように頭の回転が遅くて、口下手な人はいわゆる【もやもや】が残る。だからこそ物書きに向いている」という趣旨の事を述べておられた。逆に言えば、頭の回転が速く口が達者な人は、その場で解決してしまうから物書きには向かない。という事になる。私はまさに前者だ。頭の回転が遅く、口下手だ。よって【もやもや】が残る。だから必要以上にモノを考えてしまう。その結果仕事はのろいし、いらないミスをしてしまう。つまり仕事ができない。やれやれ。でもというか、だからというか文章を書くには向いていると自分では考えている。仕事に生かせないのが残念だ。

最近思うのだがてきぱきと仕事をこなす人というのは実に頼もしい。必要十分にものを考えそれ以上にはあとにひかない。そして次々と先の事を考える。私にはできないなと思ってしまう。これがいわゆる処理速度(スペック)というものか?仕事のうち大方はこの作業だ。自分は仕事のできない、とは言わないまでも仕事の苦手な人間だと思う。ただ高校の教員をやっていた頃はそうでもなかった。教員の仕事の半分以上は授業をいかに解りやすく、面白く伝えるかが占めており、その為には膨大な資料に当たり、その中から必要な情報を抽出し、自分なりの論理を組み立て、それをプレゼンする。その作業は文章を書くのとよく似ており、考えれば考えるほど不要なものがそぎ落とされ、同時に論理が深まる。それは私にとって心躍るとは言わないまでも十分に楽しい作業だった。まあ、昔を振り返っても仕方ない。何が言いたいかというと、デスクワークにはデスクワークの思考回路、専門職には専門職の思考回路、職人には職人の思考回路、研究者には研究者の思考回路、作家には作家の思考回路、そして芸術家には芸術家の思考回路があるという事だ。よく作曲家がその瞬間メロディーが天から降りて来た。という表現で自分の楽曲について語るが、芸術家の思考回路ってどうなっているのだろう?といつも思ってしまう。「俺にノエル・ギャラガーの様な思考回路があったらなあ。」と思わずにはいられない。ギター1つで大勢の観衆を沸かせられたらこんなに素晴らしいことはない!と思うのだが・・・。

 何にせよ、自分の思考回路が何向きなのかをわきまえる事って大事だと思う。好きなこと得意なことを生かして働ければそれがベストだと思うから。

 

敵を知り己を知れば百戦危うからず   孫子より

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戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。