どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

無頓着あるいはFree

 先日から、オリエンタルラジオ中田敦彦You tube大学を見ている。面白い!非常に面白い!毎日見ていて一向に飽きない。現在、文学編を全部見終わり日本史編を見始めたところだ。文学編の中島敦・「山月記」の授業を見ていて1つ思うところがあったので以下に記す。「山月記」については高校の国語の教科書に採りあげられることが多く、今更解説の必要はないと思うが、一応ウィキペディアよりあらすじを転記しておく。

 

唐の時代、隴西の李徴は若くして科挙試験に合格する秀才であったが、非常な自信家で、俗悪な大官の前で膝を屈する一介の官吏の身分に満足できず詩人として名声を得ようとした。しかし官職を退いたために経済的に困窮し挫折する。妻子を養う金のため再び東へ赴いた李徴は、地方の下級官吏の職に就くが、自尊心の高さゆえ屈辱的な思いをしたすえ、河南地方へ出張した際に発狂し、そのまま山へ消えて行方知れずとなる。

翌年、李徴の旧友で監察御史となっていた袁傪(えんさん)は、旅の途上で人食い虎に襲われかける。虎は袁傪を見るとはっとして茂みに隠れ、人の声で「あぶないところだった」と何度も呟く。その声が友の李徴のものと気づいた袁傪が茂みの方に声をかけると、虎はすすり泣くばかりだったが、やがて低い声で自分は李徴だと答える。そして人食い虎の姿の李徴は、茂みに身を隠したまま、そうなってしまった経緯を語り始め、今では虎としての意識の方が次第に長くなっているという。李徴は袁傪に自分の詩を記録してくれるよう依頼し、袁傪は求めに応じ、一行の者らに書きとらせる。自分が虎になったのは自身の臆病な自尊心尊大な羞恥心、またそれゆえに切磋琢磨をしなかった怠惰のせいであると李徴は慟哭し、袁傪も涙を流す。

夜が白み始めると、李徴は袁傪に別れを告げる。袁傪一行が離れた丘から振り返ると、草むらから一匹の虎が現れ、月に咆哮した後に姿を消す。(ウィキペディアより)

 

 高校生のとき初めてこの文章を読んだ私は正直何だかよく解らなかった。「何なんだ?この李徴と言う男は?詩を書くのが好きならとことん詩を書けばいいじゃないか?そりゃ、家庭を持ってしまった以上、妻子を養っていく責任はあるが、それが許す範囲で好きなだけ詩を書けばいいだろ?臆病な自尊心・尊大な羞恥心?なんだそりゃ?ちゃんちゃら可笑しい。それともこの男は名声が欲しくて、詩を書こうと思ったのか?だとしたら本末転倒も甚だしい!」と思ったのだ。それから20年。今では私もこの李徴の気持ちがわかる・・・かと言うとそーでもない。いまだに共感できない。ただ、私にはこの「山月記」に非常に思い入れのある一人の友人がいる。この友人は私より1年遅れて私学の高校教員になり、その後、初志貫徹して公立高校の教員になった。公立の教員に受かった際、はがきに「虎になる」と書いて送ってきた。とにかくそれくらい「山月記」が好きなのだ。この友人には一つ借りがある。大学4年の春、学校と目と鼻の先にあるそこそこ品のいい女子高で世界史の教員募集をしていて、それを教務課で見つけたこの友人が研究室で応募の手続きをしていた。それを見た私は「いいな、それおれも応募していい?」と軽い気持ちで聞いてみた。友人は「いいよ。」と快く返してきた。てっきりその友人も応募するものと思っていたら、その友人は自分の応募を取り下げて私に譲ってくれた。「なんだよ、応募しないの?」と聞くと「いいよ」との事。それなら、と軽い気持ちで応募したが、ろくに準備もしないで受けた採用試験は無論不合格だった。あとになってこの友人からなじられた。「めったにないチャンスだったのに」「だったらお前も受ければよかっただろ」と思ったがさすがに口にはできなかった。今にして思えばこの友人にも当時、李徴的葛藤(臆病な自尊心・尊大な羞恥心)があったのだろう。そこに行くと私は当時からそういったことに無頓着、言い方を変えればFreeだ。妙なプライドとか権威とか常識とか・・・そういったものから割に自由な方だ。プライドフリー、権威フリー、常識フリー、ひょっとすると、これが私の強みかもしれない。おまけに現在はストレスフリーだ。ある意味怖いものなしだ。将来に対する不安をのぞけばだが・・・(笑)。冗談はともかく、いろいろなことからFreeであるのは好ましいことのように私には思える。囚われてはいけないのだ。

 話しは戻るが、李徴にある種の《無頓着さ》があったらまた、彼の人生は別のものになっていたのではないだろうか?とも思う。私自身の話で言えばこのブログを始めるにあたって一応一緒に住んでいる両親に許可は取ったが、後は自分の書きたいことを書きたいように書いてきた。とにかく書きたいことは溢れてくるのだ。幸か不幸か、臆病な自尊心も尊大な羞恥心も私にはない。だからこのようなブログを綴っていられるのだと思う。いろんなことを飲み込んだうえで、最後に友人にこの言葉を贈って締めくくりたい。

「お前もなれよFreeに!」

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格調高い文章です!