どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

蜘蛛の糸 ~新解釈~

 『お釈迦様はある日の朝、極楽を散歩中に蓮池を通して下の地獄を覗き見ました。罪人どもが苦しんでいる中にカンダタ(犍陀多)という男を見つけました。カンダタは殺人や放火もした大泥棒でしたが、過去に一度だけ善行を成したことがありました。それは林で小さな蜘蛛を踏み殺しかけて止め、命を助けたことでした。それを思い出したお釈迦様は、彼を地獄から救い出してやろうと、一本の蜘蛛の糸カンダタめがけて下ろしたのでした。』(ウィキペディアより引用し文末を変えました。)

 

 暗い地獄で天から垂れて来た蜘蛛の糸を見たカンダタは「この糸を登れば地獄から出られる」と考え、糸につかまって昇り始めました。するとそれを見ていた別の罪人たちが「おい、俺たちにも昇らせろ!」と群がってきました。犍陀多は言いました。「ああ、いいさ。俺は丈夫だから最後でいい。弱ってる奴から先に昇れ!細い糸だから切れちまわないように一人ずつ昇れよ。」それを聴いた罪人たちは我先にと昇り始めました。そうして、犍陀多を除いた罪人全員が昇り切った後、ようやく犍陀多は糸を手繰り寄せ昇り始めました。それを蓮池の上から見ていた釈迦は何を思ったのでしょう、犍陀多がずいぶん高くまで昇ったところで蜘蛛の糸を犍陀多の真上でプツリと切ってしまいました・・・・・・・。

 そうです、お釈迦様もまた人の子です。犍陀多の罪人らしからぬ尊い行いに、御心を奪われてしまったのでございます。お釈迦様にとって犍陀多は、自らの気まぐれの慈悲により地獄から救い出してやろうとした罪人に過ぎません。そのたかが罪人に心を奪われたご自身をこそ許せなかったのでございます。その思いは犍陀多にも伝わりました。「己は人も殺したし、随分酷いこともやった。でも最後お釈迦様にやっかまれるぐらいなら、十分だ。十分生きた。」今度こそ、地獄も極楽もない永遠の眠りへと落ち行く中で最後に犍陀多は微笑んだのでした。

                                     おわり

 

※お釈迦様はなぜ蜘蛛の糸を断ち切ったのでしょう?

※極楽へと登った罪人たちはお釈迦様の行為を見て何を思ったでしょう?

※なぜ最後に犍陀多は微笑んだのでしょう

※極楽とはどんなところでしょう?

御一考ください。

芥川龍之介に敬意をこめて~ 

長谷川 漣

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芥川龍之介に敬意をこめて