どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

味方

 誰の(何の)味方をするかでその人の人格の一端が解る。

① 強いものの味方をする人。
② 弱いものの味方をする人。
③ 多勢の味方をする人。
④ 無勢の味方をする人。
⑤ 特定の個人の味方をする人。
⑥ 公平性や正義と言った抽象的な概念の味方をする人。
⑦ 特に誰の味方も何の味方もしない人。

 理想を言ってしまえば、ベストは⑥の公平性や正義といった概念の味方をする人だろう。次にベターなのは⑥の条件を満たした人の味方をする、つまり条件付きの⑤だ。現実的には誰もが⑥だと、そこには主観的な正義と、これまた主観的な正義とのぶつかり合い(何をもって公平と為すか?)になってしまうので、多くの人は⑤を選択する。これに①~④が複雑に絡み合っていわゆる「政治」が発生する。さて私はこの「政治」が苦手だ。私自身は「長いものにはすすんで巻かれろ!」をモットーとしてこれまでおとなしく、おとなしく生きてきたつもりだが、如何せん、私の周囲では毀誉褒貶のうわさが絶えないらしい。「らしい」というのは親切に「お前噂されてるぞ」と教えてくれる人はいなくても、周囲の素振りからそれとなく推測するくらいは私にもできるからだ。         

 いったい私の何がそれほど周囲の耳目を集めるというのだろう。ルックスか?(笑)性格か?(笑)(敢えて述べておきますが、これはジョークです。そのどちらもとるに足らないものです。)しいて言うならば口が堅い方ではある。村上春樹氏の小説に「思ったことの半分しか言わないようなタフな人間になろうとしていたら、いつの間にか思ったことの半分も言えない人間になっていた」とある。私だって学生時代はよくしゃべる方だったのだが・・・。この口の堅さ(重さ)がかえって変な憶測を呼んだりするのかもしれない。まあ、とにかく噂とは怖いもので、何が怖いって、この人の噂話ならいくらしてもかまわないという暗黙の了解ができてしまう点である。逆に言えばあの人の噂話はしてはいけないというタブーもある。で、無論、私は前者だ。これこそが私の政治力の無さの証である。よい噂が流れている最中はとびきりの笑顔で迎えてくれた人が、2~3日後には挨拶しても冷たくそっぽを向いて無視していく。これが私のような繊細な中年には結構こたえる。で、話は戻るが先にあげた③若しくは⑤の人がこのタイプと言える。噂話を共有したその相手の「味方」になってしまうのだ。良くも悪くも協調性(共感性)があると言える。私にとって有難いのは⑥若しくは⑦の人だ。⑥の人は人の上に立つ器があると言えるし、⑦の人はそれはそれでよい。私は私の事に無関心な人にどれだけ助けられた事か。ある小説に「人民の支持を得たければ公平な裁判と公平な税制を行えばよい」とあるが、まさにその通りだ。そしてちょっと無関心なくらいが私のような人間には有難いのである。

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無関心な人好きです!