どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

夕日を見つめるチンパンジー

今季からザスパクサツに東大卒のJリーガーが加入した。ザスパのサポーターである父が「どうだ、東大卒は他と顔つきが違うだろ」と全選手の顔写真が掲載されたパンフレットを見せてくれた。「やれやれ、親父は権威に弱いなあ。東大卒であることと顔つきとの間にどう論理的整合性があるというのか?親父の嫌いな堀江貴文も東大卒、いや彼は中退か。」と心の中で思ったが口に出すと面倒なのでやめておいた。これがその選手だと示されると確かにそんな気もしてくる。だが、どの選手だか当ててみろと言われたら解らないだろう。そんなものだ。ただ、一つ思い当たる節がないでもない。

 

夕日を見つめるチンパンジーというのがいる。日本の研究者の観察だが、あるチンパンジーの群のなかに、決まって夕暮れ時になると群から姿を消す個体がいた。
 どこで、何をしているのか。研究者がつけていくと、そのチンパンジーは崖の端まで出かけていって、そこからサバンナの地平線に沈んでゆく太陽をじっと見つめているらしい。
 ぐーっと沈みゆくでっかい太陽を、身じろぎもせず何を想っているのだろう。
 夕日を見つめるチンパンジー
 野生動物というのは、決して意味のない行動、無駄な行動はしないものらしい。肉食獣もいるわけで、無意味な行動は生命の危険に直結する。群から離れて一匹で崖っぷちまで行く、非常に危険だ。しかも、崖っぷちで夕日、これは無意味な行動で、本来ありえない。

 

このチンパンジーの行為は生物学上無意味である。しかしそれでも沈みゆく夕陽を見ずにいられないのは、そこに彼の目に心地よいもの、つまり「美」が存在するからではないだろうか?だとすればこのチンパンジーには芸術を解する心があるのかもしれない。魂を震わせる、心の琴線に触れる、表現は何でもよいが、せわしい毎日の中でほんのひと時でもそうした精神の高みへといざなう、それが芸術の存在意義だろう。そして、それは音楽であったり、文学であったり、彫刻であったり、絵画であったり、マンガであったりするわけだが、それらの中でも「タダ」で、間近に見られるものが、沈みゆく夕陽であったり、澄み渡った夜空の星々であったりするのだと思う。そんなとき我々は、また彼の「夕日を見つめるチンパンジー」はどんな表情をしているのだろう?きっとそこには崇高な表情が浮かんでいることと思う。うちの親父はこのような表情を指して「東大卒は顔つきが違う」と言いたかったのかもしれない。ただそれは少し違うと私は思う。芸術を解する資質は本来誰にでも多かれ少なかれ備わっているものだと思うのだ。(チンパンジーにもあるのだから)そしてそうした表情をうまく引き出してその瞬間、瞬間を切り取ってカタチにするのがカメラマンという職業の腕の見せ所なのだろうと思う。カメラの事はよく解らないが・・・このブログでも北野武さんと堀江貴文さんの顔写真をUPさせていただいた。お二方ともとてもいい表情をなさっていると思う。特に北野武さんの横顔はすごくいい。お二人は共に大学を中退している。北野武さんは後日、名目的に卒業しているが・・・と、ここまで述べてきたことを理路整然とその場で親父に伝えてやればよかったのだが、そこまで私の頭は高速回転ではないし、言ったら言ったで無益な争いになるだろうし、そんなわけで文章にしてみた。うちの親父もそうそう物分かりが悪くはないから、この文章を読んだらきっと思うところがあるだろう。もしくはここまでの私の思考の軌跡など百も承知で敢えて議論を吹っかけてきたのかもしれない。だとすればとても敵わないが・・・いや、これは買い被りと言うべきか。何せ私の親父なわけだし。(笑)ただ、私がここまで物事を考えてそれを表現できるようになったのも、大学卒業後2年間もすねをかじらせてくれた(しかも小言ひとつ言わず)親父のおかげで、やはり頭は上がらないのである。多謝。

 

※夕日を見つめるチンパンジーについての記述は「世界史講義録」金岡新先生の文章を参照させていただきました。ここに敬意を表します。

 

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