どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

スペック

 先日、友人つてに、人の頭の良さ?を測る基準のひとつとして「スペック」なる言葉があるのを知った。なんでもこれはパソコンの用語で数字の高いものをハイスペックと言うらしい。スペックとは主に3つの数字から成る。ハードディスク、CPU、メモリー、がそれだ。このスペックなるものをわかりやすく学習机にたとえてみると、ハードディスクとは引き出しの多さ、CPUとは使う人の頭の回転の速さ、メモリーとは机の面積の広さを言うらしい。その友人曰く、もっとも大切なのはメモリー(机の広さ)であるとのこと。何故なら、会話をしていて、この話題はいったん机の隅によけておいて、別の話題について話して、必要となったらまた元の話題に戻って話をする。つまり複数の話題を頭にとどめておいて、その都度、話題を整理整頓して理路整然と相手に伝えることができるからだ。例えば、34つの仕事を同時進行でこなす能力や、一人で何人も相手に将棋を指す能力などもこれに当たるのかもしれない。私事になるがどうもこのメモリー(机の面積)が私には常人以下しかないらしい。もしくは机の上を一つの思考対象でいっぱい、いっぱいにしてしまうらしい。つまりAというテーマについて考えているところにBという思考対象が割り込んでくると今度はBの事でいっぱい、いっぱいになってしまってAの事を頭から追いやってしまうのだ。だから私は複数のタスクを同時進行でこなすという事が非常に苦手だ。これをして集中力が高いというべきか、それとも注意力散漫と言うべきなのかはわからない。ただ。デスクワークをこなすうえでは非常に問題があるのは確かだ。一緒に働く方に迷惑をかけてしまう。何とか自分の頭の仕組みを変えることができないものか?これも訓練次第でどうにかなるものなのか?その反面、僭越ながら、物事を深く多面的にじっくりと考えるという面では私のような頭の使い方が適しているようにも思われる。男だったら一事が万事(笑)ではないが、これはこれでいいのではないかと思ったりもする。かつてエジソンという男がいた。この男、刑務所に電気椅子をセールスして回ったという。常人の能くするところではないが、彼が述べている。天才とは99%の努力と1%の霊感だと。巷の教育者はこの言をもって努力の大切さを説くがエジソンの真意は違うと思う。彼の真意はこうだ。どんなに努力しても1%の霊感がない奴はだめだと。何とも教育というものを馬鹿にした言葉である。が、悲しいながら、しかし一面の真実を言い表していると思うのは私だけだろうか?無論、私にエジソンのような特異な能力があるといっているのではない。しかし、僭越ながら言わせてもらうならば、適材適所、でこぼこのある人間をうまく組み合わせて有機的に機能させるというのが組織としてのあるべき姿なのではないかと思ったりもするのだ。学生時代、私は良く友人から「お前は本当にとり頭だな」と冗談半分に言われた。当時は何のことかよく解らなかったが今となっては笑い事ではない。3歩歩くとほかの事に集中してそれまで考えていたことを忘れてしまうのだ。よく今まで生きてこられたものだと思う(笑)。ただ妄想は妄想として、今現在の職場にフィットしなければ、お役御免なのはどうしようもない事実だ。その為には自身の思考の枠組みを変えねばならない。「ねばならない」英語で言うところの「must」は私の好むところではない。が、周囲に迷惑をかけるわけにはいかないのも事実だし、如何せん「仕方ない」のだ。そして生きるという事は「仕方ない」を積み重ねていくことなのだと、この頃は実感するのである。

 

※事実この文章を書いている間は時間がたつのを忘れていた。人の脳って不思議だ!

 

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