汚れちまった悲しみに

中原中也の詩

『汚れちまった悲しみに』の

「汚れちまった悲しみ」とは

一体どんな悲しみなんだろうと

ずっと考えていた。

 

やっとわかった気がする。

小林麻央さんの死だ

 

私は小林麻央さんの事は良く知らない。

以前フリーのニュースキャスターをやってらして

今は梨園の妻であり、

二人の幼子の母親というくらいだ。

あと、ブログは読ませていただいた。

 

幼い子供を持ったお母さんが

若くして亡くなったのは残念で悲しい事だ。

ただ、以前はともかく今の彼女は私人であり、

その死を公共の電波を使って

ここまで大々的に報道するのはどうなのだろう?

私が身内ならそっとしておいてほしいと願うところだが・・・

 

また、彼女のNEWSZERO(日本テレビ)時代の元同僚である

『嵐』の櫻井翔さんが

泣きながら彼女の死についてのインタビューに答えた様子を観て

「演技がかっている」だの

「ほんとうに大切な人が亡くなったら、あんな悲しみ方はしない」だの

「だからジャニーズは嫌い」だのと

ネット上で炎上しているとの事。(625日時点)

ひどい話だ。

もしかしたらあの状況でインタビューを求められて

櫻井さんも自意識過剰になっていたのかもしれない。

しかし、そこまで桜井さんに求めるのは筋違いではないだろうか?

 

そんなことよりも腹立たしいのは

この例からもわかるように

若くて二人の幼子を持つ母親の死という「悲劇」を

我々大衆が「消費」している一面があることだ。

彼女の人生は「商品」ではない!

 

もう一つ不自然なのが

彼女の死の報道がなされた時間帯だ。

それは前川前事務次官の会見の実況中継の真っ最中に行われた。

 

彼女の死が私事であるのに対して

前川前事務次官の記者会見は公事だ

どちらがより重要か中学生でも分かる。

であるのに何故メディアは彼女の死をメインに報道したのか?

結果、前川前事務次官の会見の実況中継は

ものの5分に満たないものとなった。

ひょっとして彼女の死の報道は

国民の関心の矛先を

政治問題からそらすための「道具」として

使われたのではないか?

そう考えるのは私だけだろうか?

 

もし、私の考えていることが

真実の一端をつかんでいるのなら・・・

 

私は憤慨する。

 

彼女の死は「商品」ではないし

ましてや「道具」などでは断じてない。

 

一人の妻であり、

二人の幼い子供の母親である

若い女性の死

という「悲しみ」を

我々は寄ってたかって

「汚した」のではないだろうか?

 

「汚れちまった悲しみ」

がどんな類の悲しみなのか、

自分なりに解釈できた気がする。

 

もういい

これ以上はたくさんだ。

 

ただ、

メディアがどうあれ

ネットがどうあれ

結局のところは我々一人一人の

リテラシーにかかっているのではないだろうか?

我々大衆も学び

考えねばならない。

 

 

汚れっちまった悲しみに

今日も小雪の降りかかる

汚れっちまった悲しみに

今日も風さえ吹きすぎる

汚れっちまった悲しみは

たとえば狐の革ごろも

汚れっちまった悲しみは

小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは

なに望むなく願うなく

汚れっちまった悲しみは

懈怠のうちに死を夢む

汚れっちまった悲しみに

いたいたしくも怖気づき

汚れっちまった悲しみに

なすところもなく日は暮れる……

 

中原中也

『山羊の歌』より

 

麻央さんのご冥福をお祈りいたします。