以心伝心という言葉がある。
例えばフットボールのチームでもオーケストラでも、職場でも、家族でも、
長い時間を共有していると口に出さずとも気心が伝わるようになる。
そこには共有する無意識とでもいうべきものが生じる。
そしてそれがしっかりしているほどチームとして集団としてうまく機能する。
まさに以心伝心なのだ。
脳の仕組みがまだ解明されないから想像の域を出ないのだが、
そのような仕組み、電気信号なのか化学物質なのか、
シンクロと呼ぶべきなのかわからないが、
そういう力が我々人間にも備わっている。
経験的にわかってきた。
経験的に。
(無論、動物には人間以上に備わっていると思われる。例えばイルカとか)
で、私事で恐縮なのだが最近職場で暇なときは、
「部所の皆さんがのびのび活き活き働けるように」
と心の中で考えている。
以心伝心で伝わればよいし、
伝わらなくても暇がつぶせて、どちらに転んでもよしだ。
そんなことを続けていてある時、ふと気づいた。
これはひょっとして「祈り」という行為かと!
だとしたら「祈り」というのも馬鹿にできないぞと。
宗教とか神様がどうこうという話ではない。
私のうちは仏教だが私は自分の宗派すら知らない。
ついでに言うと日本史に詳しくないので宗派の違いもよくわからない。
基本的に宗教に無頓着な人間だ。
だから宗教で出てくる「祈り」というのが私はなんだかよくわからなかった。
だが、この以心伝心が「祈り」の根底にあるのだとしたら
ちょっと意味が分かる気がする。
みんなで以心伝心しているのかもしれない。
問題は何を以心伝心するかだ。
私には世界の平和とまでは想像が及ばないが、
せめて家族や友人や職場の人たちが活き活きとのびのびとしていて欲しいとは思う。
これが私の「祈り」の及ぶ範囲なのかもしれない。
この範囲がでかくなると人はそれをカリスマとか宗教と呼ぶのだろうか?
もしかするとこういう力は子供のほうが大きいのかもしれない。
なんせ大人になると目先のことでいっぱい、いっぱいだから。
そう考えると「イマジン」という曲をつくったジョン・レノンは
すごい人だったんだなと思う。
何度も言うが私は宗教とか神様とかには興味はない。
私が信じるとすればそれは「おやつ神様」だけだ(笑)。
(『おやつ①~⑤』おおおひなたごう著)より