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愛のままに、わががままに・・・

 大学を卒業して就職浪人していたころの話。同じく就職できずに院に進んだ友人とドライブしていて、仙台市内で一番大きな四つ角に停車した際の会話。

私「こいつはまさにヒューマンスクランブル!(『人間交差点弘兼憲史著より)。」

友人「僕らは今日も信号待ちさ。(笑)」

今思い返すとなんと親不孝なダメ学生だったか。親にはとても聞かせられない。

 ただ、この友人単なるダメ院生ではない。ドライブつながりで別の話もある。

 ある日、市内をドライブしていたら道端に花束が手向けられていた。

それを見た我々

私「自己満足だな。」

友人「事故だけにな。」

私「そうそうその通り!」

 自分でも無意識のうちに口をついた言葉に対し、友人が間髪もおかずに返してきたので驚いた「こいつの言語中枢はどうなっているんだ?」

 よく鼻歌を歌っているときに思いもよらぬ自身の心情に気付くときがある。無意識のうちに脳の言語をつかさどる部位が働いているのだろう。YUKI(元ジュディ&マリー)はメロディーに合わせて「はなもげらー」と口ずさんでいるうちに歌詞ができると雑誌のインタビューで答えていたが・・・。無意識と言語の関係はとても興味深い。作曲家や作詞家の脳はどうなっているのだろう。別の機会に考えたい。

 その後どういうわけか友人も私も他人を指導するような立場になった。ある時、故あって、この友人とのやり取りを授業で話したことがある。その際

「その花を見て私は『〇〇満足』と言ったんだ。それを聞いた友人は『まさに〇〇だけにな。』と言った。さて〇〇に入る同じ2文字は何だかわかる?」周囲がきょとんとする中一人だけ「わかった!≪ジコ≫だー」と答えた生徒がいた。ある意味鋭すぎる言語センスだ。鈍すぎるのもなんだが、鋭敏すぎると自らを傷つけることがある。普通に幸せになって欲しい・・・。 

 今思うと十代の生徒たちに対して厳しすぎる認識を強いたかもしれない。「人は死んでしまえばそれまでで、それに花を手向けるのは結局のところ残された者の自己満足にすぎない。」真理を悟ったような気になっていた。なんと傲岸不遜な態度か。ただあのころ我々は若かった。というより幼かった。あの時の事故の犠牲者と遺族の方々にはこの場を借りて心からお詫びいたします。申し訳ございませんでした。

 それとは別に歴史の授業としては一つ疑問が残る。「なぜ、いつごろから人は死者に花を手向けるようになったのか?」それまでは死んだら終わりだった。泣いてもしょうがなかった。しかしいつの頃からか残された者はそれに納得できなくて、花を手向ける事で自分の気持ちにけりをつけたのだろう。その意味で人は≪わがまま≫になった。しかし、この≪わがままさ≫が人の人たる所以なのではないか?もしかすると、そのころ(およそ20万年前)≪ヒト≫は≪人≫になったのかもしれない。そんなことを考えた。あのころ友人も同じような事を考えていたのかもしれない。でなければ ,

あんなにさらりと返せなかったろうから。・・・フカイ奴だ。

 

 ~愛のままに、わがままに、僕は君だけを傷つけない~ Bz稲葉浩志

 ※声に出して歌ってみよう!