どこ吹く風

自分には全く関係・関心がないというように、知らん顔をすること。「何処吹く風と聞き流す」

I need to be myself

 書籍化に当たってこれまで書いてきた文章を読み返してみた。どれも不惑(40)を超えた人間の書いた文章としては幼いのではないか、良くも悪くも俺は俺自身以外の何物にもなれないな。と思った次第だ。で、思う。それでいいじゃないかと。一番怖いのは自分自身を見失ってしまう事だ。背伸びをしたり、縮こまったりしないでありのままの自分で行く、これが一番大切なんじゃないかと。世渡り上手な俺、とか、大人な俺というのは一向に自分らしくない。そんな文章誰も読んでくれやしないのではないか。四十を越して私は自分自身の再発見だ。笑いたければ笑えばいい。俺は俺以外の何物でもないのだ。

 

I need to be myself ♪

I can be no one else ♪

 

Oasis 『Supersonic』 より

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ギャラガー兄弟



ありがとう、そして・・・

「ありがとう、そして、ありがとう!」

このフレーズ何か可笑しくありませんか?私はこのフレーズを初めて聞いたとき面白くなってくすくすと笑ってしまいました。「ありがとう、心から、ありがとう。」とか、「ありがとう、本当に、ありがとう。」なら話は解るのですが、「ありがとう、そして、ありがとう!」なのです。そしての使い方が間違っているのでは?と思うのは私だけでしょうか?(笑)とにかく感謝の意が伝わってきます。しつこいくらいに!感謝の二乗とでも言ったところでしょうか?ちょっと対応に困る言い回しでもあります(笑)。

 

『この言い回しはアニメ『TIGER & BUNNY』の登場人物、スカイハイのセリフである。ヒーローアニメであるTIGER & BUNNYにおいてキング・オブ・ヒーローと讃えられるスカイハイ。人気と実力を兼ね備えたヒーローの中のヒーローで、非常に真面目な性格であるが、実は天然キャラ。そんな彼が派手なジェスチャーと共に口癖のように言うセリフが「ありがとう!そして、ありがとう!」なのである。

 また、このセリフを言う時のポーズが両手を選手宣誓の時のように挙げることから「\宣/」このようなAAで表現される。「宣」という文字はスカイハイのマスクを正面から見るとこのようなデザインであるところからきている。』

(あらゆる元ネタ・由来を解説するサイト タネタンより)

 

 さて、話は変わりますが、足掛け3年にわたって綴ってきたこのブログがついに書籍化されます。初めは公募に応募して何か賞でも取れないかと模索してみたものの、いわゆるエッセイに対しての賞というのは稀で、しかもテーマが設定されているものが多く、私のように自由なテーマで綴られた文章というのはなかなか賞に結び付きません。では自費出版をと考え、主要な出版社をネットで当たってみた所、どこもペイするために200万~300万はかかるとの事。それならばクラウドファンディングでもやってみるかと思い立って、これまたネットで調べてみたところ、クラウドファンディングも寄付型、購入型、金融型とあり、個人のブログを出版するにはどの型もハードルが高い。どうしたものかなあ、と思案していたところ以下のようなサービスを見つけました。

https://myisbn.jp/

たった4980円から本を作ることができるというサービスです!本はAmazonにて受注生産されます。つまり、在庫を抱える必要がなく、著者にとっても、出版する側にとっても、限りなくローリスクで本を作ることができます。原稿はワードを用いて作成します。表紙も自分で作ろうと思えばできないことはないのですが、背表紙の真ん中に文字が来るように調節したり、パワーポイントを用いたりと面倒が多いので表紙だけは外注することにしました。それでも2万円~3万円あれば十分です。業界の通常の十分の一の価格との事。これはやってみる価値ありと思い早速、連絡を取りました。現在、製作中です。遅くとも半年後にはAmazonにて購入可能になるのでは?と考えております。今まで書き溜めたエッセイの中から50編を選んで加筆修正しました。タイトルは

『「不可能」なんてありえない』

価格は1000円~1800円くらいを考えています。そして、なんと価格の一割が印税として著者(私)に転がり込んでくるとの事です!素晴らしいではありませんか?物好きにもご購入をお考えのあなた、もしくは、人助けと思ってご購入をお考えのあなた、少しフライング気味ですが、次の言い回しでもって感謝の意を表したいと思います。

 

「ありがとう、そして、ありがとう!」

                     

ペンネーム 長谷川 徹)

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ありがとう、そして、ありがとう!

 

頭カラッポの方が

暗記が苦手だ。

 現在ある資格の取得に向けて勉強中だが、ひと月勉強から離れていると頭の中からすっかりすっ飛んでいる。暗記してもすぐ忘れてしまうのだ。自分でもよく解っているので暗記科目は試験の直前1月前くらいから集中して勉強をして、頭に詰め込んだ時点で試験を受ける。試験に受かったらすっかり忘れる。というのが私の常だ。いわば忘れるために覚えるようなものだ。このように私は記憶力が人一倍ない。その割には、と言っては何だが、私の脳裏には今まで読んだ小説、マンガ、映画等の警句や名シーンが深く刻まれている。

 

「勝つことばかり考えていると人は際限なく卑しくなるね。」

銀河英雄伝説田中芳樹先生より)

 

「それはそれ!これはこれ!」

逆境ナイン 島本和彦先生より)

 

「無限の宇宙に比べれば、人間は矮小な存在に過ぎない。しかし宇宙の無限を認識できるのもその矮小な人間なのだ」(18世紀の哲学者エマニュエル・カントの言葉)

 

「直子は僕の事を愛してすらいなかった。」

ノルウェイの森 村上春樹先生より)

 

どの小説で、どのマンガで、どの映画で、どんな警句や言葉が出てきたのかびっしりと脳裏に刻まれている。それはやはりその小説なり、マンガなり、映画なりが面白かったからなのだろう。だから言葉が心に刻まれて、自分の血肉になっている。

 しかし、社会人になってみて改めて感じるのは、「資格試験等の無味乾燥な文言や細かなルールをどれだけ正確に頭に叩き込めるか、それができなければ役に立たてない。」という非情な現実だ。そのような観点からすると、どうも私の頭は社会的に有用ではないらしい。平たく言えば能無しだ。もしかすると世の中の中高生、社会人にも私同様の無力感にさいなまれている方々がいるのかもしれない。でもそんな人たちにこそ心に刻み込んで欲しい言葉がある。1990年代のアニメ『ドラゴンボールZ』の主題歌のサビの部分

「頭空っぽの方が、夢詰め込める~♪」

という破天荒なフレーズだ。初めてこのメロディーとフレーズを耳にしたとき「イカシテル」と感じたのをよく覚えている。今思い返してみても、なんと素敵なフレーズではありませんか?歴史の年号を語呂合わせで暗記するより、このフレーズをそらんじる方がはるかに豊かな人生を送れると思う。そうです「知識には限界があるが、想像力は世界を包む」アルバート・アインシュタインより)なのです。で、私も文章を書くからには「心に刻み込まれるようなフレーズ」を残したいと思う。それが出来れば本望なのです!

 

光る 雲を突き抜け Fly Away (Fly Away)

からだじゅうに 広がるパノラマ

顔を 蹴られた地球が怒って(怒って)

火山を爆発させる

溶けて北極(こおり)の中に

恐竜がいたら 玉乗り仕込みたいね

 

CHA-LA HEAD-CHA-LA

 何が起きても気分は へのへのカッパ

 CHA-LA HEAD-CHA-LA

 胸がパチパチするほど

 騒ぐ元気玉‥‥‥Sparking!

 

空を 急降下 Jet Coaster (Coaster)

落ちてゆくよ パニックの楽園(その)へ

景色 逆さになると 愉快さ(愉快さ)

山さえ お尻に見える

悩む時間はないよ

何処かに潜む「ビックリ」に逢いたいから

 

CHA-LA HEAD-CHA-LA

「頭カラッポの方が 夢詰め込める 」

CHA-LA HEAD-CHA-LA

笑顔ウルトラZで

今日もアイヤイヤイヤイヤイ

 

★repeat

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週刊少年ジャンプで連載当時、私も夢中になりました!

 

和解

「殺したい奴が3人いる」というのが時代小説の名手の池波正太郎氏の口癖だったそうだ。おそらく池波氏は小説の中でそんな「奴」を見事に切りさばいていたのだろう。江戸時代なり明治時代なりに設定を変えれば、官吏の汚職や組織の腐敗、社会の矛盾を描き尽くして、しかるべき人物には天誅をくらわす。それが可能だからだ。私にも「殺したい奴」が一人や二人はいる。いや、いた。「いた。」と直したのは今しがた見た夢でそれが解消したからだ。夢とは本当に不思議なもので、どこでどういう仕組みになっているのか、人の深層心理は繋がっているのか?まあ、とにかく夢を通じて私はその人物を許した。若しくは和解した。その人物とはかつての職場の同僚だ。ご存知の方もいらっしゃると思うので今更隠さずに述べてしまうと私は首都圏のある女子高校の教員をしていた。そこでソフトテニス部の顧問をしていたのが例の「殺したいほど憎かった」相手である。女子高というのはある種異常な世界で1クラス40人の生徒が1学年10クラスで400人、それが3学年あるのだから10001200人規模の女子生徒を少数の女性教員とその他の男性教員が指導する。男性教員の7~8割は女子生徒と結婚するというのが伝統?となっている。非常にへんてこりんな、しかも閉じた世界である。そして無論、組織である以上そこには政治が存在し、生徒に人気がある教員の発言権や影響力が必然的に強くなる。この女子高という特異な環境で30年以上にわたり女子生徒の人気を一身に集めていたのが例のソフトテニス部の顧問であった。長身でお年は召していても男前な方であった。その方の牙城?を崩してしまったのが(私の自意識過剰かもしれないが)どうやら私だったらしい。勤め始めたころはいろいろと良くしてくださったのだが、1~2年くらいすると二人の立場が逆転してきたようだ。「ようだ」というのは、私は自分の仕事が面白くて夢中で他人にどう思われているかなど気にしている暇もなかったからだ。仕事が面白くて、懸命になればなるほど、生徒の側もそれに答えるし、それが好循環となっていたのだ。ただそうすることが、その方がこれまで築いてきた、また守り抜いてきた自信やプライドを大きく損ねていたことにまで気が回らなかった。もともと気が利く方でもない。結果、その方はどうしたかというと私の陰口をそこら中で言いふらすという行為に出た。要は村八分だ。そのとき初めて男の嫉妬というものを私は知った。同時に、笑って済ませられる噂話は別として、相手の耳に届く範囲での陰口は決してするまいと思った。むしろ当の本人にむかって本音を言ってやった方がどれだけましか知れない。人をほめる時は大きな声で、悪く言う時はもっと大きな声で本人に聞こえるよう直接言ってやるというのがベターだと私は思う。

 前置きは長くなったが先ほど見た夢の中でその方が出てきた。当時の勤め先の学校でその先生が校内を案内してくださった。これが生徒の書いたマンガだよとか、このポスターも生徒が書いたのだよとか、説明して回ってくださった。どういうわけか夢の中でその先生は片足を引きずっておられた。なんとなくこの先生はご自分の勤め先を愛しておいでだったのだなと感じた。その時何故だか解らないけど、その方に対する怒りが消えていた。

最後にアンケートのようなものをやっていってよ。と言われて目が覚めた。この話はだからどうだという落ちも脈絡もないのだが私自身の中で一応の区切りがついたという事で、ここに書き留めておこうと思う。また、もしこの文章を当時の関係者がお読みになられていたら、ご安心していただきたい。一体何を?(笑)。時間にしか解決できない事柄も世の中には確かに存在する。そしてできる事ならそうなることを未然に防ぐべきだ。話は大きくなるがテロや戦争も同じだ。未然に防げるならそれに越したことはない。その為にも行き過ぎた貧富の差や、差別・抑圧・貧困があってはならない。経済の安定は勿論、教育の機会も均等にしなければならない。その為の「政治」だと思う。先の例で言えば「人気」だってそうだ。その為に「人気の為の人気商売」であるアイドルが存在するのだと思う。話は飛びますが「嵐」の皆さんお疲れ様でした。あともう2年間、頑張ってください。よろしくお願いします。

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有難うございました。あと2年もうひと頑張りしてください!

 

味方

 誰の(何の)味方をするかでその人の人格の一端が解る。

① 強いものの味方をする人。
② 弱いものの味方をする人。
③ 多勢の味方をする人。
④ 無勢の味方をする人。
⑤ 特定の個人の味方をする人。
⑥ 公平性や正義と言った抽象的な概念の味方をする人。
⑦ 特に誰の味方も何の味方もしない人。

 理想を言ってしまえば、ベストは⑥の公平性や正義といった概念の味方をする人だろう。次にベターなのは⑥の条件を満たした人の味方をする、つまり条件付きの⑤だ。現実的には誰もが⑥だと、そこには主観的な正義と、これまた主観的な正義とのぶつかり合い(何をもって公平と為すか?)になってしまうので、多くの人は⑤を選択する。これに①~④が複雑に絡み合っていわゆる「政治」が発生する。さて私はこの「政治」が苦手だ。私自身は「長いものにはすすんで巻かれろ!」をモットーとしてこれまでおとなしく、おとなしく生きてきたつもりだが、如何せん、私の周囲では毀誉褒貶のうわさが絶えないらしい。「らしい」というのは親切に「お前噂されてるぞ」と教えてくれる人はいなくても、周囲の素振りからそれとなく推測するくらいは私にもできるからだ。         

 いったい私の何がそれほど周囲の耳目を集めるというのだろう。ルックスか?(笑)性格か?(笑)(敢えて述べておきますが、これはジョークです。そのどちらもとるに足らないものです。)しいて言うならば口が堅い方ではある。村上春樹氏の小説に「思ったことの半分しか言わないようなタフな人間になろうとしていたら、いつの間にか思ったことの半分も言えない人間になっていた」とある。私だって学生時代はよくしゃべる方だったのだが・・・。この口の堅さ(重さ)がかえって変な憶測を呼んだりするのかもしれない。まあ、とにかく噂とは怖いもので、何が怖いって、この人の噂話ならいくらしてもかまわないという暗黙の了解ができてしまう点である。逆に言えばあの人の噂話はしてはいけないというタブーもある。で、無論、私は前者だ。これこそが私の政治力の無さの証である。よい噂が流れている最中はとびきりの笑顔で迎えてくれた人が、2~3日後には挨拶しても冷たくそっぽを向いて無視していく。これが私のような繊細な中年には結構こたえる。で、話は戻るが先にあげた③若しくは⑤の人がこのタイプと言える。噂話を共有したその相手の「味方」になってしまうのだ。良くも悪くも協調性(共感性)があると言える。私にとって有難いのは⑥若しくは⑦の人だ。⑥の人は人の上に立つ器があると言えるし、⑦の人はそれはそれでよい。私は私の事に無関心な人にどれだけ助けられた事か。ある小説に「人民の支持を得たければ公平な裁判と公平な税制を行えばよい」とあるが、まさにその通りだ。そしてちょっと無関心なくらいが私のような人間には有難いのである。

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無関心な人好きです!

 

さようなら 会えなくなるけど さみしくなんかないよ♪」

 

今朝目が覚めたら何故か頭の中でこのフレーズが流れていた。

調べてみたらミスターチルドレン「星になれたら」という楽曲のサビの部分だった。

私はミスターチルドレンのCDを買ったこともないし、ダウンロードしたこともない。

ましてや「星になれたら」という曲名は今検索して初めて知った。

どこかで耳にしたフレーズだったのだろう。

一体何故このメロディーとフレーズが流れていたのか解らない。誰かに会えなくなるのか、もしくは会えない誰かの事を指しているのか?睡眠や夢と音楽の関係は非常に興味深い。ビートルズポール・マッカートニーが朝目覚めた時、頭の中で流れていたメロディーをそのまま楽曲にしたのが、yesterdayだというのは有名な話だ。yesterdayに」比べるのはおこがましいが私も20代の頃目が覚めたら聞いたこともないメロディーが頭の中で流れていたことがあった。テープに録音するなり、楽譜が書けたらよかったのだが・・・今はもうそのメロディーは忘れてしまった。

無意識のうちに鼻歌を口ずさんでいるという体験は誰にでもあると思う。私は調子のよいときにモーツアルトトルコ行進曲が頭の中から流れてくる。もしくはトルコ行進曲が流れてくるから「調子よくなれるのか」たまごが先か鶏が先かという話になってしまうが・・・それとは別に、くしゃみをするのはどこかで誰かに噂されているからだという表現がある。音楽も同様でその場にいない誰かとの関係において頭の中から流れてくるのかもしれない。それをシンクロというのか?なんというのかは解らない。私の中でトルコ行進曲が流れてくるのはどこかで誰かからの好意のような何かを感じているからなのかもしれない。もっともこれは私がそう勝手に感じているだけで推測とすらいえない事だが・・・

 ともかく、音楽にはある種の力がある。先日私の部屋で小5の甥っ子二人がピコピコと対戦ゲームをしていた。ゲーム音ばかり聞いてないでいい音楽を聞かせてやろうと思い、ビートルズhere there and everywhereをかけてやった。曲が流れ始めると二人は一瞬ぴくっとして静まり返った。そのうち「これ対戦してるときにかける音楽じゃなくね?」と言われて結局途中で止めてしまったのだが・・・情操教育ってこういうものかもなと思った。

また、話は移るが星野源さんが新曲Pop Virusという楽曲で「始まりは 炎や 棒きれではなく 音楽だった」と歌っている。多分人類の進化の過程で音楽が持つ力というか作用のようなものをテーマにした楽曲なのだろう。実はこれと同じテーマを漫画家・山下和美先生の不思議な少年でも扱っている。人類史上初めて「歌」が生まれた瞬間の事を描いておられる。

話はあちこちに飛んだが「夢」と「メロディー」と「歌詞」と「人間間の相互作用」と「音楽の持つ力」と・・・これらはまだまだ自分の中でも消化しきれないテーマだ。でも非常に興味がある。いつかもっとまとまったらまた文章化してみたいと思う。肉体が何を食べるかによってつくられるように、精神も何を見るか、聴くか、読むかによって形作られるものなのかもしれない。できるならなるべく質のよいものを見聞きしたいものだ。

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山下和美先生の代表作『不思議な少年』とても面白いです!

 

自分First

自分First

 

以前の職場でお世話になった方から年賀状を頂いた。

「お元気ですか。

健康第一で、また「自分Firstであられますように。

本年も佳き年となりますように。」

との事。年賀状を頂き嬉しかったのはもちろんだが、「自分Firstという言葉が気になった。このブログの存在をご存じなのかどうなのか解らないが、もちろん、この方はいい意味で「自分First」と書いてくださったのだと思う。ただそれとは別に「俺ってやっぱり「自分Firstなのかな?」と思う節がないでもない。

 先日サッカーの日本代表戦を男ばかり六人で観戦した。前半は中央からの攻撃ばかりで単調になってしまったが、後半は左サイドに張った選手を起点にサイド攻撃が功を奏し逆転勝利した。日本の勝利でその場は楽しく終わったのだが、帰りの車の中で思わず本音が出た。

私が(右サイドで張っているべき選手が中に中に入りがちでチームとしてうまく機能しなかった。)「これ言っちゃいけないかなとは思うのですが右サイドで張るべき選手はちょっと自分が自分がというところがありましたね。」

それを受けて運転してくださった方が「まだまだあおいという事ですかね?」とおっしゃった。私は「うーん、何とも言えないです。そのあおさが必要な面もあるし一概には言えないのですが・・・。」それを聴いて助手席に座られた方が、

「そうなんだよね、10番の中島がいればまた、変わったんだろうけどね、ちょっとね。」私は嬉しくなって

「そう、その通りなんですよね、チームって生モノなんですよね。人が一人いるので全然違ってくるんですよね。」と、その車内での会話はとても楽しかった。やはり本音で会話するのは楽しいものだ。ただその為には本音を切り出す「自分Firstな奴が必要で、どうも私にはそのけがあるなと思った次第だ。良くも悪くも・・・

 「自分Firstが一概に悪いことだとは思わない。ただそこには「周りを生かす」という意識が常に必要なのだとも思った。私はもうしがないオッサンに過ぎないが、今回の右サイドでプレーした選手はまだまだ今後いくらでも伸びる余地がある。いい意味での「自分Firstを目指して頑張れマラドーアン!

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応援しています!!