「何をするにもマニュアルって必要だよね」
といったのは兼好法師。(1283~1352、徒然草の作者)それに先立つこと約100年
「そんなもん必要ねーよ」
といってのけたのが中国・南宋の武人、岳飛。(1103~1142)若き日の岳飛が戦争の指揮が巧みなのに驚いた上官が
「お前には見どころがある!きちんと兵法を学んでみないか?」
といったのに対して、岳飛曰く
「機に臨みてはまさに変ずべし。」
「その状況次第で各々に対応するだけです。」
つまり(私にはマニュアルなんて必要ありません)自己の才能に対する並々ならぬ自信がうかがえる。ちなみにこれがもとになった四文字熟語が
「臨機応変」
さらに時をさかのぼること千数百年。やはり中国、漢の高祖・劉邦に仕えた武人、韓信(BC230~BC196頃)はマニュアル(兵法)を逆手に取ることで戦争に勝利している。
河を背に布陣し、(逃げ場がない為、兵法の常道に背理する)敵に
「韓信は兵法の兵の字も知らぬ間抜けだ」
と油断させる一方で、味方には
「川におぼれて死ぬくらいなら戦って死ね」
と命じ、死力を尽くして戦わせる。その間、別動隊が敵方の空になった城を占拠し
それを誇示することで、浮足立った敵軍を前後から挟撃し、攻め滅ぼした。
いわゆる「背水の陣」である。
のちに劉邦と韓信は人物評をする。
あいつは百人の将(百人を指揮するに足る将)
こいつは千人の将
そいつは万人の将
等々
劉邦「そういうお前はどうなのだ?」
韓信「多々益々益す」(多ければ多いほどよいでしょう)
自身の将器・将才に対する絶大な自信だ。
劉邦「では俺はどうだ?」
韓信「恐れながら陛下は兵の将としてはせいぜい千の将、しかしながら、陛下には将の将たる器あり」
この会話は二人の人間関係の醍醐味ともいうべきものだ。
それはさておき、兼好法師の言うことはもっともだ、と頭ではわかりながらも、中国史上に残る二人の名将に惹かれるのは私だけだろうか?確かに兼好法師の言うように何事にもマニュアルは必要だ。おそらく人生にも・・・
何歳までに結婚し
何歳ごろ何人子供を持って
何歳ごろまでに一戸建てを持ち
子供の将来のために毎月これだけ貯蓄して
老後は・・・
良いことか悪いことかわからないが
私はこういったマニュアルに興味がない。
いわばマニュアルフリーだ。
もしくは「マニュアルにとらわれない人物」(実在なり・架空なり)を
マニュアルにしてきたのかもしれない。
つまり、それが私にとってのヒーロー像だったのだと思う。
ただ、ここにきてちょっと問題が出てきた。
私にとってのマニュアル(ヒーロー)
の多くは40にならずに死んでしまっているのだ。
しかもろくな死に方をしていない。
先述の二人の武将にしても、中国史に詳しい方はご存じと思うが残念な死に方だ(その原因の一端は彼らにもあると思われるのだが・・・)
で、無事に40まで生きた私としては
新たなマニュアル(ヒーロー像)を探す必要に迫られているわけだ!それはウォーレン・バフェット氏のごとく賢くも美しい生き方をする人か?もしくは一企業人として生きるからには「島耕作」の様な人物か?(『課長~会長島耕作』、弘兼憲史著)
ただ、彼の場合、課長時代は、仕事が好きで、閥が嫌いで人間味あふれていて、転勤しては愛人を作りで、非常に魅力的な人物なのだが、出世して地位が上がり、それに伴い責任が増すにつれて私人としてよりも公人としての面が色濃くなってくる。偉くなってからの島耕作は正直ちょっと窮屈そうだ。
とすれば、目指すべきはやはり、特命おびたる係長、あの人か?
人生の折り返し地点に近づいて、なんだか面白くなってきた。